隼人石 -隼人説考-
8 ハヤビト?ハイト?ハイトン??
古事記の注釈書はどうでしょう。
まず、『古事記』の該当箇所を紹介しましょう。
将に攻めむとする時は、塩盈珠(しほみつたま)を出だして溺れしめ、其に愁ひ請ひまつれば塩乾珠(しほふるたま)を出だして救ひたまひき。如此惚れしめ苦しめし時、稽首(ふしてぬかつ)き白さく、「僕は今より以て後、汝命の昼夜の守護人と為りて仕へ奉らむ。」とまをしき。故、今に至まで、其の溺れし時の種種の態を絶えず仕へ奉りたるなり。 ※原文は漢文
(『古事記』上巻)
『古事記』では、狗吠は出てきません。単に「昼夜の守護人」として仕えると誓うだけです。ただ素直に読めば、守護と言っても「溺れし時の種種の態」を模倣した歌舞を見せるということになります。
古事記の全編にわたり詳細な解説をしている本居宣長の『古事記伝』では以下のような説明がされています。
隼人阿多君之祖 隼人は波夜毘登(ハヤビト)と訓べし。和名抄にも隼人司ハ波夜比止乃豆加佐(ハヤビトノツカサ)とあり。<後世に波伊登(ハイト)と云は、夜毘(ヤビ)は伊(イ)と釣まれども、なほ訛なるべし。又書紀の訓などに、ハイトンとあるは、いよゝ正しからず。又今世に波夜登(ハヤト)とも云は、波伊登と云たぐひなり。>隼人と云者は、今の大隅・薩摩二国の人にて、其国人は、絶れて敏捷(ハヤ)く猛勇(タケ)きが故に、此名あるなり。<古言に、猛勇きを波夜志(ハヤシ)とも登志(トシ)とも云れば、波夜と云に、猛勇き意もあるなり。隼ノ字を書ことは、迅速(ハヤ)きこと、此鳥の如く、又波夜夫佐(ハヤブサ)てふ名も合へればなり。> …後略…
まず、読み方について考え、更に語源を説明します。後略した部分には『延喜式』をはじめ様々な文献に残された隼人の記事を紹介しつつ、隼人国の所在地や阿多隼人について解説しており、文献考証家として面目躍如といったところです。
守護人 書紀欽明巻に、為守護(マモルヒトトナス)。さて書紀一書に、云々(日本書紀の引用 省略)とある、代吠狗と云る、即ち守護人なり。不離宮墻之傍とあるは、昼夜と云るに当れり。<職員令に、衛門府、督一人、掌諸門禁衛云々、及隼人門籍膀事。>抑この火照命は、隼人の祖に坐て、此の守護の事、後まで隼人の職なり。…(延喜式の引用 省略)…
続いて、守護人(まもりびと)について書紀や『令集解』『延喜式』を引いて説明し、
其溺時之種々之態 とは、彼の弟命の、塩盈珠を出し賜へる時、溺れ苦みたりし状態を、令似(マネビ)行ふを云。然る子孫に至るまで、此の状態を仕奉るは、此の時に伏事奉りしことを、長に忘れぬよしなり。…(日本書紀・延喜式の引用 省略)… 大嘗祭式に、進於楯前、拍手歌□(□は人偏に舞。以下同じ)。など見え、続紀に大隅薩摩隼人等、風俗歌□を奏しこと、往々見えたり。此の風俗歌□も、彼の俳優(わざをぎ)の遺れるにぞありけむ。<上代には、全俳優なりしが、後には哥□の躰になれりしならむ。>
故至今云々 抑後の世に隼人の職業は、上の件の如く、守護と俳優(ワザヲギ)と二つなり。然るに今、火照命の能美の言には、たゞ守護人とならむとのみありて、俳優のこと無く、此処には又俳優の方のみを云て、守護の事を云ざるは、<互に略きて、相照して心得る文かとも云べけれど、然には非ず。>互にこと足らぬこゝちす。<書紀の伝へどもには、たゞ俳優の方のみ見えて、守護の方を云るは、只一書に、不離天皇宮墻之傍、代吠狗云々。とある伝のみなり。其の上の文に、恒当為俳人、一云狗人。とある、俳人は伝の誤にて、狗人とあるぞ、正しかるべき。其の故は、其の下の是以云々の文、もはら守護のことにして、俳優に非ればなり。> …(後略)…
(本居宣長『古事記伝』1790年~)
最後に、隼人舞(溺時之種々之態)について、日本書紀や続日本紀などから丹念に用例を挙げたうえで、隼人の職は「守護」と「歌舞」の二つであるのに、ばらばらに記されていることについて書紀と比べながら解説しています。
前:再発見される「隼人」 次:「犬」は、賤称?忠犬?