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 神戸市北区は、六甲山の北側一帯に位置し、神戸市の全面積の44%を占める大きな区域を持ちます。区の中央を東西に丹生山系が走り、開発がされていないこの山には、時間を越えて多くの歴史が残されています。
 福原遷都のおり、清盛は、丹生山を京都の比叡山になぞらえ日吉山王権現を祀り、月参りをしたと伝えられています。また、義経は丹生山から藍那、鵯越の道を進軍したと伝えられ、こんな山の中にというところに、史跡がたくさんあります。

明要寺跡 義経道" ←【明要寺跡】

明要寺は、清盛が福原遷都を敢行したおりに、ここを福原京の鎮護とし、明要寺の鎮守として日吉山王権現を祀って月参りしたと伝えられる。

【義経道】→

三草山の戦いに勝利した義経軍が三木から鵯越に出るときに通ったという伝承の道。この道は明要寺のすぐ側を通らねばならず、明要寺には平家方の僧兵が大勢いて非常に危険な道であったといわれている。







多聞寺 多聞寺縁起

←【多聞寺】      【多聞寺縁起】→

清盛が遷都のときに、方位除けに毘沙門天を祀った寺。元は六甲山系古寺山にあったが、平家の盛衰と運命をともにし廃寺になろうとしていたものを、寛正3年(1462年)現在の地(有野町唐櫃)に移し、建立したもの。








鷲尾三郎屋敷跡 藍那古道 ←【鷲尾三郎屋敷跡】

山田町に残る鷲尾三郎屋敷跡。この碑の南(向こう側)の山に鷲尾家代々のお墓があります。そして鷲尾三郎の位牌は、北側の福田寺に残っていると地元の人に聞きました。


【藍那古道】→

鷲尾三郎屋敷跡から藍那にかけての山道。義経の行軍の道といわれています。




相談が辻

【相談が辻】
藍那古道から鵯越へ出る途中で、どの道を行くべきか相談した場所として伝えられている。左は鵯越方面、右は白川方面(ここで兵を2手に分け義経は左へ、熊谷直実の別動隊は右へ行軍したといわれている。)



義経馬つなぎ之松 蛙岩 ←【義経馬つなぎ之松】
←現在の鵯墓園内の高尾地蔵院の中にあります。写真は切り株しか写っていませんが、右側に大きく根が張り出しています。鵯越に進軍してきた義経が休憩し、この場所から平家の陣を見下ろし、作戦を立てたといわれています。

【蛙岩】→
高尾地蔵院から東南へ約300mほど離れた場所にあります。岩が蛙の形に似ていることから、この名前がつきました。この場所は、相談が辻と同じく、鵯越と白川の分岐点にあたり、この場所で兵を分かったとか、義経が進路を変えたとかいろんな言い伝えが残っています。→


【清盛五輪塔】
有馬町温泉寺にある清盛の五輪塔です。残念ながら清盛が有馬を訪れたという記録は残ってませんが、温泉寺に残る五輪塔のひとつは清盛の五輪塔と伝えられています。

五輪塔