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一ノ谷 鵯越坂落とし?
義経の鵯越の坂落としは、有名な話ですが、これは一体どこを指していたのでしょうか。鵯越(現在の兵庫区か北区)から一ノ谷まではいくつもの山を越えなければならず、平家の城郭は見えなかったと思うのですが、・・・・・。 義経は平家の陣地を見下ろして檄を飛ばしていることから、写真の山(鉄拐山といいます)の頂上ぐらいから「馬ども落いて見ん」と命令を下しとのではないかと思うのですが、・・・・・。(いや、これでは教経、通盛、盛俊らの陣に入ることはできないので、これもおかしい。)
正面の山の左側が一ノ谷といわれているところです。


源平の庭 源平の庭(須磨寺内)】

須磨寺は,源平ゆかりの寺といわれ,境内には源平にちなんだ史跡や,宝物館があります。

この写真は,紅顔の美少年敦盛(左)と熊谷直実(右)の一ノ谷(須磨海岸)の一騎打ちを再現したもので,須磨寺を入ったところ左手にあります。
この勝負直実の勝ちとなるのですが,相手の武士が自分の息子と同じくらいの年だったので哀れに思い,出家のきっかけになったといわれています。





敦盛塚 ←【敦盛塚 敦盛の首塚
敦盛の首塚】→

左は須磨浦公園西端にある敦盛塚で、右は、須磨寺内にある敦盛の首塚です。
実はこの敦盛塚は北条貞時が平家の霊の冥福を祈って、ここに平家の霊を集め祀ったということで、最初は「集め塚」と呼ばれていたがいつの間にか敦盛一人の霊を祀った塚になったという説があります。


敦盛が登場するのは、一ノ谷の合戦の場面だけで、華々しい活躍もせず、熊谷直実に討たれるのですが、最後の様子が哀れに思われるのか、神戸では清盛に次いで名前が知られています。




安徳宮
安徳宮 安徳宮
悲劇の幼帝安徳天皇をお祀りした社です。須磨浦公園北の急な坂を登ったところ(一ノ谷町)にあります。






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