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忠度塚 忠度塚
気は優しくて力持ち。武に優れ、和歌にも優れた薩摩守忠度。
一ノ谷の合戦は須磨だけでなく、広く神戸全体が戦場になっていたようで、忠度が西の手の大将を勤めていたことから、西は明石あたりまで戦場になっていたようです。
塚の説明書きには両馬川で岡部六弥太忠純に討たれた忠度をこの地に葬ったとあります。
このあたりは昔忠度町と呼ばれており、近くには忠度公園もあります。 現在の町名は明石市天文町になっています。※
両馬川・・・・明石市太寺(明石の東部)から流れ中崎(現在の明石市役所のあたり)に流れ出ていた川で現在は残っていません。 忠度と岡部六弥太が、川の両側で馬に乗ってにらみ合ったことから両馬川と名前がついたそうです。
※・・・・長田区駒ケ林町にも忠度塚があります。


清盛五輪塔 明石市にある清盛五輪塔(善楽寺)
善楽寺は明石市大観町にある天台宗の寺で、明石市では一番歴史のある寺と聞いています。善楽寺と清盛の関わりは、元永2年(1119年)に火災にあった同寺を清盛が保元元年(1156年)に再建したことにあるそうです。(当時清盛は播磨の守)
清盛が亡くなった養和元年(1181年)に寺僧達が清盛の供養のため建立したと伝えられています。
・・・・ということは兵庫の清盛塚より先に建立されたということになります。清盛の本当の墳墓がはっきりしていませんが、ひょっとしたら、ここが本当の・・・・。

立て札 善楽寺入口にある説明書き
これは善楽寺入口にある明石市教育委員会の説明書きです。これによりますと、清盛の死後、寺僧がその徳を偲び五輪塔を建てたと書かれています。


今も兵庫区に残る福原京ゆかりの地名
上祇園町下祇園町上三条町下三条町
御所通雪御所町東山町北山町

今も当時を偲ばせる地名がこれだけ残っています。すべて後世につけられたものと思いますが、福原京と全く無関係ではないと思います。