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平家物語では、しばしば鵯越が一ノ谷のすぐ後ろで、鵯越から一ノ谷が見渡せるという表現がとられています。例えば「老馬の事」の段では、この山の手と申すは、一ノ谷の後ろ、鵯越の麓なりとか同段で一ノ谷の後ろ鵯越を落とさんとてあるいは「坂落としの事」の段では、大将軍九郎御曹司義経、その勢三千余騎、鵯越にうち上って、人馬の息休めておはしけるが、その勢に驚きたりけん、牡鹿二つ牝鹿一つ、平家の城郭一ノ谷へぞ落ちたりける。とかの表現で一ノ谷と鵯越が隣り合わせのような感じを与えています。神戸の地理をご存じない方は、何も疑問をもたれないかと思いますが、神戸の地理を少しでも知っている方は この点に疑問をもってしまい、今現在残っている一ノ谷、鵯越という地名と物語の地名の違いを解析したくなってくるのです。下に現在の地図を張り付けましたので、現在の一ノ谷と鵯越がいかに離れているか、感じてください。

地図

現在の地図で計ると、一ノ谷と鵯越は直線距離で約5km離れており、とても鵯越を降りたところが一ノ谷とは認められないのです。