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鯛カブラと一つテンヤ



兄やんのおじいちゃんとひいおじいちゃんは

雑賀崎の一本釣りカブラ漁師だった。

その頃の漁師は
白浜や椿に
雑賀崎から活きた海エビを持って行き

カブラで真鯛を釣っては
釣り場近くの漁港に魚を卸し、
船で寝泊まりして生計をたてていた。

カブラの一本釣り漁師で飯を食う
プロちゅうのプロだ!


今でも幾人かの漁師さんは真鯛の釣れる時期になると毎年シモへ下り、

何日も船で寝泊まりしては
カブラの一本釣りで生計をたてている。

下げ船と言われる漁師さんだ。

現在、数は少なくなったが、
うちの親戚の漁師さんも健在だ。

雑賀崎の漁師さんはヤマをたてて、カブラで魚を沢山釣るので、
地元の漁師さんが釣り方を知りたがった。

その中で仲良くなった
釣り場近くの漁師さんにカブラ釣りを教え
カブラ釣りが全国に広まった。

雑賀崎漁師は旅漁師

真鯛が釣れると聞けば

どこへでも、何日もかけて釣りに行った。

今のような良いエンジンが無い時代に

遠くは関東の大原や九州は長崎まで

雑賀崎から何日もかけカブラ釣り行った。

雑賀崎に帰ってくるのは旧の1月1日、
旧正月だけだった。

その漁師さんの何人かが釣り場である地に居着いた。
今でもうちの親戚も関東や長崎でカブラ釣りをしている人もいる。

それらカブラ釣りの盛んな釣り場に雑賀崎漁師仲間が

和歌山に似た地形を白浜や勝浦といった名前をつけた。
その周辺の人達にも雑賀崎出身の人が多い。

うちの父は漁師では無かったが、
漁師仲間が多かったので、


漁師さんと共に
毎年、シモへカブラ釣りに出掛けては魚を釣ってきてた。

どんな良い魚を釣っても魚は売らずに
土産に持って帰っきては近所に配ったり、
皆で食べた。

そんなヘンコな父を
漁師仲間は、
何故魚を売らない?
ええ値が付くのに!とよく言われていたが、

そんなお金に拘らない父が僕は好きだった。

カブラは手で叩くもので、いくつも叩いてこそ、
やっと良い物が出来る。

慣れないとなかなか気に入った物は出来ない。

父は、シケの日には家で毎日ガラを揉んだり
カブラを叩いていたのをよく覚えている。

そんな鯛のカブラ釣りが古くから身近にあった僕には
今新たな人気になっている
タイラバやヒトツテンヤ(うちで言う鯛カブラ)釣りが不思議な感じがする。

タイラバにスカートを付けたり(鯛カブラにゴム板を付ける。)
一つテンヤに海エビを差す(鯛カブラに海エビを差す)

道具が良くなった分、進化は有るが、

古くも新しくも同じ釣り場で同じような釣り方で同じ真鯛を狙っている

不思議だなぁ〜

ご興味有る方は、岩崎に古くから受け継がれた
イワサキ式の鯛カブラ(ヒトツテンヤ)
一度使ってみてください☆

画像は今から50年程前
おじいちゃんが実際に使ってた鯛カブラです♪