松平内蔵頭(頼職)、   主税頭(吉宗)兄弟が    宿泊した時の控書

資料

 元禄十一年二月
    (1698年)

宿札(関札)

誰が宿泊しているのかを知らせるために、御成門に掲げられた、木の札の宿札(関札)や、諸費用の明細の「御本陣相勤候ニ付諸入用附立帳」、「信達宿難渋ニ付嘆願書」、「御本陣跡役願一件」などの手紙類や、使用していた手桶など、その当時を物語る貴重な史料が、数多く残されています。宿札は、泊まる側(大名など)が書いて、本陣に持参したもので、松平主税頭(後の八代将軍、吉宗)のものは、3センチ厚の柾目の板、老中堀田加賀守のものでも、1センチ厚の松の板、遊行上人では、厚手の和紙に書かれてあります。やはり財力の違いがあったのでしょう。

写真をポイントしてください。

向かって左は、松平主税頭休「まつだいら、ちからのかみ、やすむ」と書かれてあり、八代将軍吉宗の、紀州藩時代の元禄十二年三月(1699年)十四歳のものです。右は、堀田加賀守宿「ほった、かがのかみ、やど」と、書かれてあり、三代将軍家光の老中、堀田加賀守正盛で、寛永十五年(1638年)頃のものです。

手紙や帳面など、数多く残っています。ほとんどが、紀州様の関連ですが、遊行上人(鎌倉時代の時宗「踊念仏」、開祖は一遍上人で、歴代上人は幕府より、諸国遊行を公認され、説法のため諸国を漫遊した。)のもあります。その第五十六世他阿傾心が早春の当家軒先の梅の花を詠んだ、掛軸も残っています。文政時代(約百八十年前)のものです。古くは寛永年間のものもあり、その当時を物語る、貴重な史料です。

古文書類

写真をポイントしてください。