駕籠

天秤ばかり後藤家分銅

(江戸時代)

京四つ駕籠

紀州藩の藩札と、銀との両替もしていたようです。

日々、生活に追われて居りましたが、やっと念願のホームページを作ることが出来ました。歴史というものは、信用と同じで、重ねることは難しいですが、壊すことは容易く出来ます。また、信用は取り戻すことは可能ですが、歴史は二度と戻ることは、ありません。よって、これを受け継いだものは、必死で守っていかなければならないと、考えています。追々とページを増やし、紀州街道信達宿の事も、紹介していきたいと思います。またいつになるかはわかりませんが、長屋門のところを史料館にして、公開できたらと思っております。 

終わりに

針口天秤というのだそうです。紀州の藩札の、両替をしていたようです。お皿には、極、中堀甚九郎とあり、元禄時代(西暦1700年前後)の作者だそうです。

両替天秤

二十八代目当主  角谷 隆

(江戸後期)

当家の自家用駕籠だったのでしょうか? 江戸時代に駕籠に乗るということは、相当な贅沢であったようです。増してや、自家用の駕籠を持っているということは、今なら、運転手付の高級車を、所有しているようなものでしょうか。内部に花柄の紙が使ってあるので、女性用で嫁入り駕籠と思われます。見ての感想は、十人が十人とも、割と小さいなあ!です。