当家の座敷には、勝 海舟の書と伝わる絹本の扁額が有ります。私の子供の頃より、ず〜とそのままで掛けられているので、相当痛んでいます。勝が当家に泊まったという記録は、残ってはいませんが、文久三年(1863年)四月、幕府の軍艦奉行であった勝 海舟は、紀州加太の砲台(当時、幕府が紀州藩に命じて紀淡海峡から入ってくる外国船への攻撃の為、造っていた)の竣工検分の為、紀州を訪れているので、当家に宿泊しているのは間違いの無い事実でしょう。 宿賃の代わりに書いてもらったのでしょうか?
幕府軍艦(咸臨丸)
幕末の雄、勝 海舟も
当家に宿泊したのか?
勝 海舟の書
落款と花王
「ちょうしん」と書かれています。暢という字はのびやかということで、神は、神様では無くて、精神のことです。のびやかな、ゆったりとした心で、という意味です。勝 海舟らしい(私個人としては、全く、お付き合いが無いので分かりませんが、多分、そんな心の大きな人物であったのでしょう。)言葉だと思います。