宿割

紀州街道信達宿
   常夜燈

紀州徳川家の参勤交代の行列は、供する侍の人数が、約千五百人と言われています。当家には全長3メートル程の和紙の宿割が残されています。宿役の牧野村、市場村、大苗代村の約百軒の屋号と、六畳、四畳板間など、提供できる部屋が書かれてあり、宿泊した侍の名前が貼られています。この侍は上級の武士で、それぞれが連れている家来十名程と一泊したのでしょう。それでも足りない時は、中小路、北野、岡田村で、荒増別帳の通りとありますから、後、二十軒程は確保していたようです。

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この宿割には、年号などは書かれて無く、いつの誰のものかは、永らく不明でしたが、最近、紀州藩主徳川吉宗という本を執筆された、和歌山大学の名誉教授、藤本清二郎先生が、当家の史料を、お貸ししたご縁で、その御礼にと言う事で、調べて下さいました。書かれている何人かの家来の家譜、系譜から、その役職に就いていた年代を調べて頂き、ついに文政五年(1822年)、2月5日の十代藩主、治宝(はるとみ)公の江戸参府の行列と、特定されました。和歌山県立文書館等に何回も、足を運び、貴重なお時間を割いて頂き、本当に有難う御座いました。