娘の事

NO.6

年末にこけて 膝を怪我したので 大掃除もしないで ゆっくりしていました。
おばあちゃんが亡くなってから お正月にお客さんもないので よけいゆっくりしていました。娘もだいぶん元気になってきてたので 色々手伝ってくれました。

娘は家の中では だいぶん動けるし 元気そうになってきたけど
長時間外で過ごす事は出来ないし 外での食事や ちょっと休憩のお茶も
出来ませんでした。 外へ出ると すぐに家に帰りたくなってしまうようでした。

車で20分ほど行った駅のデパートには行けるようになったので
一緒に行って お買い物もできるようになってきました。
そして1月23日 23歳の誕生日を迎えました。

若くて華やかな時期を ずっと家で寝てるのが不憫で
この誕生日には ピアスを作ってもらいました。
小さなダイアとパールをつけたピアスを娘はとても喜んでくれました。
年が明けた頃 息子の結婚式の日取りが 決まりました。
次に船を下りる4月26日に決まりました。

この頃から 出かけた所でお茶を飲めるようになってきました。
私の友達や お客さんが来ても 一緒に喋ってたり お茶を出したりも
できるようになりました。
娘は散歩だけでなく 走るように言われていて 朝と夕方 ランニングをしていました。
鍼の先生の診察と アロマテラピーのマッサージにもよく行ってました。
そして先生から指示されて 一人で電車に乗る練習を兼ねて
毎日 違う所に行ってました。 といっても 電車で2〜3駅くらいだけど・・・・
でも、たまには乗り換えて 三ノ宮まで行って携帯で証拠写真をとって
先生に送ったりしていました。

2月半ばからは 先生の指示ではなくて 自分で予定を立てて
それを実行していくように言われました。
真面目に先生のいう事を守って 朝から一人で出かけていました。

娘はとても焦っていました。
4月26日に結婚式は決まってるし その日に九州小倉まで行けるとは 思えないし
色々考えて とても機嫌も悪くなって 投げやりにも なっていました。

大阪の千里に SSOKといって なんでも卸価格でうってる所があります。
家から車で40〜50分くらいかかる所へも 車で行く事が出来ました。
でも、娘の運転で ゆっくりペースで行きました。
なかなか電車に乗る事が出来なくて 乗っても普通電車に乗って 何時しんどくなっても
降りる事が出来るようにと そんな事ばかり考えていました。

肌も荒れていて 顔中真っ赤になったり それが落ち着くと
肌が乾燥して パラパラと表面の皮膚が はがれてくるといった
感じでした。鏡を見ては ため息ばかりです。

それでもかまわず 3月30日には一泊で有馬に行く事にしました。
じっとして良くなるのを待っていても 変化がないので 先生にも勧められて
やや強引に 旅行に行きました。
かなりくねくねの山道を 車で行きました。電車とバスを乗り継いで行くのは 
絶対に嫌だというので また、娘の運転で行きました。
有馬では おみやげ物やさんを覗いたり 「こんな時間に家にいないのは信じられない」
なんて言いながら でも、割合元気に過ごせました。 二日目は お昼過ぎに有馬を
出て、帰りに鍼の先生の所によって 緊張を取る鍼をしてもらいました。
デジカメで色々写真をとって 帰ってから旅行記を作っていました。

有馬に行って 少し自信がついてきました。
でも、電車に乗っていないので 新幹線が不安でした。
しんどいから降りるというわけには行かないので 小倉までに
一度新幹線の練習をしたほうが良いという事になりました。

新大阪から神戸まででは 20分で短いし 岡山まで行く事にしました。
ちょうど一時間で いい練習になるかな?と思いました。
4月14・15日と岡山に行きました。新幹線の中では すごく緊張していて
全身カチカチに力が入っていました。 やっとやっと岡山に着きました。
駅前のホテルに予約していたので 本当に良かったです。
「新幹線に乗って 岡山まで来られた!」と娘も私も 感激しました。
後楽園に行ったり 駅の周りを歩き回ったりして 体を動かして
緊張を取るようにしていました。

行く前は 不安があって 「お母さん一人で行けば・・・」
とかいろいろ言ってましたが 行ってよかったと 喜んでいました。

そんな事があっての 小倉での息子の結婚式だったので <結婚式報告>に
元気そうに娘が写真に写ってるので 本当に嬉しかったです。
小倉には 前日に新幹線で行って その日は行くだけで
当日は結婚式に出るだけ そして3日目は帰るだけという ゆったりの
予定を立てました。 主人はそんなゆっくりに付き合う時間がないので
日帰りで結婚式にでました。

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