娘の事

NO.5

この頃 私は出かけると いつも セーターとかブラウスとか
Tシャツなど 可愛いものが目に付くと 買って帰っていました。
「こんなんを着て 出かけたいなぁ・・・」と思ってくれるかなぁ・・・と
期待しつつ お土産にしていました。
娘も喜んでくれるんだけど まだまだ出かけるところまでは
いきませんでした。

6月中頃には 鍼の先生が 診療の休みの日に 来てくれて
ドライブに誘ってくれました。
休憩しながらでも、2時間 ドライブしてきました。
その後で 緊張を解く鍼をしてくれました。
また、アロマの人は 娘に近い年令のお友達を
連れてきてくれて おしゃべりを楽しめるようにしてくれました。

娘はあんまりしんどい時に 友達からの電話にも出なかったり
メールも返さなかったりしてたので<本人はどう説明していいのか
わからなかった> 段々学生時代の友達も 疎遠になっていました。

少し間があくと 体調の説明や 前に電話に出なかった事から
説明しないといけないので よけいに億劫になっていました。
だから、そんな説明なしに 話せる人が来てくれて
とても喜んでいました。 私もアロマの人の心遣いが本当に嬉しかったです。

7月のはじめ 私は玄関前の階段で 一番下の段を踏み外して
足首を捻挫してしまいました。
鍼の先生の所に行って 鍼とテーピングをしてもらって
帰ってきたら  娘が洗濯を干して 朝の片付けもしてくれていました。
「あぁ・・・こんな事できるようになったんやわ・・・」
と痛いけれど 良かった良かったと思っていました。
先生も「娘さんにしてもらいなさい。いいリハビリになりますから」
と言ってくれました。

7月、8月と車に乗る練習を重点的にしていました。
娘はもともと 車が大好きで 人の車でも かまわず運転するような子でした。
ビックリしたのは 明石(兵庫県の場合)で、免許証を始めて交付された日に
駅から家まで 友達の車で帰ってきたんです。それも雨の夜に!
その友達も 命知らずの子やなぁ・・・と思ったけど 運転する方もする方です。
スキーの帰りに 友達のワンボックスカーを皆寝てる夜に運転して帰ったりと
そんな車好きの娘だったんです。

ところが 調子を崩して寝てしまってから スピードが恐くなって
回りの景色が変わるのも しんどくて時速30キロくらいでしか 走れませんでした。

始めに体調を崩す引き金のようになったのは
バスに酔い始めた事からだったので その事がトラウマのようになって
バスは勿論、車にも なかなか乗る事ができませんでした。

9月半ばから 何とか一人で車に乗って鍼の先生の所まで
いけるようになりました。
20〜25分くらい車に乗っていきます。

アロマテラピーの人は 以前のお店を辞めて
一人でお店を持って 予約でマッサージをするように
なりました。前は鍼の先生の所から歩いていけるところだったのに 今度は鍼の病院から20分ほど 車で行かないといけなくなりました。

でも徐々にそれにも慣れてきて 一人で運転していけるようになりました。
私が運転するより 自分で運転して 最高40キロくらいで 走っていました。

10月28日 息子の所に 女の赤ちゃんが産まれました。
< 優衣>・・・ゆいちゃんと名づけられました。
娘も 赤ちゃんが見たいといってたんだけど
小倉まで 新幹線に乗っていかないといけないし
とても無理な事でした。

10月頃には 近くのドラッグストアや スーパーにも 買い物にいけるようになりました。
でも、匂いにとても敏感になっていて 美味しそうな匂いがしても 気分が悪くなったり
人ごみもダメだし 空腹時も 車に酔うし 条件がそろわないと なかなか難しかったです。

私は11月に一度 孫を見に小倉に一泊で行って
12月にはお宮参りで 一泊で小倉に行ってきました。
でも、この頃には 娘は留守番ができるようになっていました。
主人は会社に行ってて 夜には家に帰ってきてたんだけど
お風呂の用意をしたりしていました。
少し前なら考えられない事でした。

12月半ば 寝込むようになってから 初めて美容院へ行って
髪をカットしてもらいました。
2年半ぶりくらいでした。
美容院の匂いも心配していましたが パーマはしないので
何とかできました。

年の瀬も近づいた27日 私は両手にゴミの大きな袋を持って
つまずいて ドテッとこけてしまいました。
両膝打撲で 膝のお皿が割れないだけマシと言った感じで 怪我をしてしまいました。
何時もいつも ドジな事です。

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