山 陰 古 道 探 検(丹波・亀岡)
 
その4 千歳町あたり


 保津町の案察使をすぎると、いよいよ千歳町にはいります。古道はこの辺りから田んぼの中に入りますが、ほ場整備が行われているので道はほとんど残っていません。
 府道亀岡園部線沿いの千歳町毘沙門に、「大本毘沙門荘」という表札のある古いおおきな長屋門があります。これは亀山城の家老屋敷の長屋門を明治維新前後に移転したものと伝えられています。亀山城の遺構は、千代川小学校校門、永田家住宅表門、大本毘沙門荘表門、桂林寺表門、文覚寺表門、保津町5区集会所などがあります。この大本毘沙門荘の表門は、十三間長屋門といわれ立派なものです。この辺りには古い立派な家がたくさんありあます。

 千歳町毘沙門を抜け、国分に入りました。農道はほ場整備ができて綺麗になっていますが、毘沙門から河原尻あたりまで藪がつながっています。ちょうど藪の東西で10mほどの高低差の段丘があります。遠くから見ると河の堤防のようにみえますが、昔はこの辺りまで水がついたのでしょうか、よくわかりません。
 この藪を抜けるといよいよ国分寺の前に出てきます。

 国分寺は聖武天皇が741年全国に詔勅を出し、五穀豊穣・国家鎮護のため、国分尼寺と共に各国ごとに建立された寺で、奈良の東大寺は総国分寺です。
 当時の丹波国の中心地であったと思われるここ千歳町国分に、山陰古道に面して国の華として七重塔が燦然と輝いていたのでしょう。
  その後焼失し、平安時代から鎌倉時代に再建されましたが、明智光秀が亀山城築造の頃に焼失荒廃しました。現在の本堂は1780年頃、護勇比丘が全国から浄財を集め建立したものです。
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山陰古道1 山陰古道2 山陰古道3 山陰古道4 山陰古道5

(大本毘沙門荘)


(丹波国分寺山門)


(丹波国分寺七重塔の礎石)