山 陰 古 道 探 検(丹波・亀岡)
 
はじめに


 この「山陰古道探検」シリーズは、京都府亀岡市内の古代の山陰道を巡ります。
 「山陰道」といえば、今は国道9号線のルートですが、平安時代には王子から亀岡市街、余部町、湯ノ花、赤熊から園部町天引峠を経て篠山へ行っていたようです。今で言うと国道372号を通り176号で福知山へ行き、国道9号に戻り出雲へ行くルートでしょうか。これを「旧山陰道」といいます、また「丹波道」とも呼ばれます。園部町南大谷には「野口駅」の石碑があります(これは最近造られたものですが)。平安時代の駅路は16km毎に設けられ、大枝駅(王子?)の次が野口駅、次に篠山市の小野駅がありました。
源義経は、大枝山に陣を置き、そこから老いの坂を越えて丹波路を通り一ノ谷に向かいました。
 奈良時代には、王子から馬堀、保津、丹波国分寺、三日市、池尻を経て八木町屋賀の国府(推定地)に繋がっていたようです。これを新修亀岡市史では「古山陰道」と呼んでいます。
 おおざっぱに分けると、国道9号線を現在の「山陰道」とすると、府道王子並河線が「旧山陰道」(江戸時代以降)、八幡の裏の道を「古山陰道」(平安時代以降)、さらに鵜ノ川沿いに古代道『山陰古道』(奈良時代以前)があったのではないかと私は想像しています。
 
 このシリーズの『山陰古道』は奈良の飛鳥から乙訓を抜け丹波国分寺を通り、丹後を目指した時代の道を巡ります。丹後王国があったかどうかはわかりませんが、古代の天皇と丹波や丹後との関わり、渡来人も通ったと思われる山陰古道。古代に大陸へ通じていた道だと考えると古道のロマンはさらにふくらみます。
 古代のルートを正確にたどるわけではありません。古代道はほとんどなくなっています。できるだけ古代道に近いルートをたどり、史跡などに寄り道をしながら散策できる『山陰古道』を紹介します。丹波・亀岡の古代ロマンを楽しんで下さい。


その1 「京都・大枝から老の坂越え」

 山陰古道は勿論京都の大枝を通って亀岡に入ってくるのですが、大枝の国道9号の旧道沿いには「桓武天皇御母御陵参道」の石碑があります。光仁天皇の皇后「高野新笠」の御陵です。桓武天皇は都を平安京(794年〜)に移した天皇です。平安京初代の天皇の母をこの亀岡との境の大枝に祀ったと言うことは、丹波が相当天皇家に近かったか信頼があったかと想像できます。
 その「桓武天皇御母暮陵参道」をちょっと亀岡方向に行くと大枝の「関明神」があります。日本書紀に天武天皇が大枝山に関を設けた(679年)と記されていますが、これはどうやら大阪河内の大坂山のようですが、室町時代にはここに関所があったようです。また天武天皇は壬申の乱の後に「桑田王」などに命じて日本書紀を書かせたとあります。
 ここから現在の9号線をしばらく登り、仏舎利霊園に入り縦貫道の側道を進むと老いの坂峠に行くのですが、残念ながら山道になり、西部クリーンセンターの進入路で道が途絶えますが、橋をくぐると直ぐに大江の鬼退治伝説の「首塚大明神」があり、「是より東 山城国」の道標があります。ここが明治の中頃にトンネルができるまでの老の坂峠です、いよいよ「丹波国桑田郡」です。



山陰古道1 山陰古道2 山陰古道3 山陰古道4 山陰古道5


「桓武天皇御母御陵参道」の石碑


  大枝の「関明神」


  (首塚大明神)


  道標「従是東山城国」