対人不安

回答は向井敬二です  内容はご本人の了解を得ております

 

質問「自分の母を許すことができない」

私の母は介護施設に入っています。周囲の人に文句ばかり言い、気に入らない事があると人のせいにし、「正しいのは自分だけ」というような人で、そのせいか、施設で友達がいません。
昔から、私は母から父の悪口を一方的に聞かされて、ずっと父をひどい人と信じ、父に心を許すことなく育ちました。でも結婚して優しい夫と巡り合い、温かい家庭を築く事ができた今、正しかったのは父の方で、母が間違っていたのだと気づくようになりました。母は今でも父の悪口を言います。それに飽き足らず、私や、私の子育てについても批判します。父や弟は「もう母の性格は直らない。適当にあしらえばいい」と言いますが、適当にあしらう事も、完全に無視する事もできません。とは言っても、「あのときあんなこと言われた」と過去を思い出して許す事もできず、自己中心的な母を恨んでしまい、苦しくなることもあるのです。どうすれば苦しまずに生きる事が出来るでしょうか。  名古屋市在住  29歳 主婦  夫 31歳会社員 4才男子  1歳 女子
回答  「心の絆を大切に」
人間関係に不満と絶望を感じている人は、人に優しくできないものです。
自己中心的で幼い人は、幼い頃に愛着(基本的安心感・母子一体感)を得る事ができなかった人が多いです。愛着とは特定の人と結ぶ、情緒的な心の絆の事です。人は誰しも、乳幼児期、児童期、青年期、壮年期、中年期、老年期という順序で成熟していきます。そして、その時期その時期に獲得すべき経験というものが重要です。もし乳幼児期に十分受容されなかったとしても、成長の過程で親や親に代る人や配偶者に愛情を注いでもらう事ができれば、そこで愛着を補給して成熟する事ができます。反対に、年齢を重ねても+分な愛着を与えられず、人との関係に安心感を感じる事ができなかった人は、老齢になってもなお自己中心的で幼いのです。お母さんにもそのような不幸な成育歴があったのかもしれません。
長年にわたって夫の悪口を言い、家族といい関係を築けなかったお母さんに愛情を与えてくれる人はいるでしょうか。お母さんは、幼い頃に十分な愛情を注がれたわけではないでしょう。
愛着の不足は、いくつになってでも取り返しがきくものです。立ち直るのに時間がかかりますが、老年期になっても遅すぎる事はありません。
お母さんの存在を断ち切ったからといってあなたの心の傷は癒えません。
あなたは、ご主人と2人のお子さんから不足していた愛着を補充されているのだと思います。それを、少しお母さんに分けてあげる事はできないでしょうか。
幸せを分けるというのは、「喜びを分かち合う」という事です。
愛情が枯渇している人には、誰かが優しさを注いであげれば、事態が変わるものです。自分の為にも、そして、二人のお子さんのためにも。

質問「「母親と良い関係を築きたい」

子供の頃、母親が働いていた為に(父方の)祖母に預けられ、小さい頃とても寂しかったのです。祖母はとても厳しい人で私はよく叩かれていましたが、母親はそれをみてもかばってくれる事はなかったのです。でも祖母に叩かれた事より、母親が自分を守ってくれなかった事に深く傷つきました。
その為なのでしょうか、私は自分の事が嫌いです。あんな母親でなければよかったのにと母親を恨んでいます。母はいつも私を否定してきました。あんな母親に育てられなければもっと違う人生になっていた、ありのままの自分を受け入れられないのはあの人のせいだと思っています。中学の時「もっと普通の優しいお母さん」が欲しかったと言った事があります。すると母親は「一体いつまで謝らなくちゃいけないのよ、いいかげんにしてよ」と言われました。「どうせいくら言ってもわからない」とお互いに恨みをかかえたままです。私の傷つきを治し、母といい関係になりたいのですが、どうすれがいいでしょうか?
                    滋賀県大津市在住  25歳 会社員  
回答  「自分の気持ちを伝える事が傷から解放される第一ステップ」
母親が謝ったにしても、あなたの心の傷に気づいていない為に、いつまでも恨みを手放せないのですね。「しつけ、子供の為を思って」と正当化されてしまったのかもしれませんね。「謝ってほしい」と思っても、母親は「自分は悪くない」と主張する為にあなたの恨みとくやしさは続くという悪循環に陥るのだと思います。 子供にとっては、母親は世界の全てですから、その母親に傷つけられると自分の全てが否定されたように感じ、自分を受け入れられず自信をなくすようになります。こんな親じゃなければよかったのにと思うのはごく自然の心の動きです。ただ、ずっと恨んでいるばかりでは、あなたの人生がスタートできないです。その為に必要な事は、謝れと言ったり憎む事ではなく自分の気持ちを母親に伝える事が大切です。そこで、母親に手紙を渡す事を提案します。
注意して欲しい事は、抑えた感情が一気に爆発したような内容では、母親にはただ責められているような気分になってしまいます。気持ちを伝える事を大切ですから、まず、自分の気持ちをノー卜に整理してから手紙にしましょう。相手を責めるというより、あなたの気持ちをただ伝えるという事に重点おいて感情を表現するようにしてください。「書く」という事は、書いている事で気持ちを表現する一種のセラピーなのです。書くことは安定剤になるのです。
自分の閉じこめられていた感情に気づき、抑えてきた気持ちの整理が出来ます。
母親からは何の反応もないかもしれませんが、自分の気持ちを表現したという事で自分に納得がいくかもしれません。母親に謝って欲しいと母親を恨む気持ちで手紙を出したなら、それを受け止めてもらえなければ更に傷ついてしまいます。謝ってもらおうとするのをやめ、自分の気持ちをありのまま表現して、自分の心を知らせる事だけを念頭におき表現する事があなたの心を癒す事になり、怒りを手放せるステップになるのです。

 

質問「対人恐怖症」

一昨年の12月、急な人事で、人事課から経理課に配属されたのですが、余りに仕事内容が不慣れで上司の課長に相談したら「分からないのは当然。ゆっくり覚えていったらいい。分からない事があったらいつでも聞きに来てね」と言われ、安心していたのです。
ところが経理の基礎知識が余りになくて、対人恐怖症という課題を抱えているので、分からない事を聞きにいくのが苦痛なのです。最初の数か月は快く質問に対応してくれていたのですが、不安症からか、指摘されるとパニックになる傾向がある為、理解出来ていないにも関わらず「はい、分りました」と応答してしまい、再度聞きに行くと「君は自分で考えてない」「何度教えたら分るの」とか言われてしまいます。
先月、「別の課にしてほしい」と伝えたら「何もしなくてもいいから」と言われてしまいました。
呆れられながら教えてもらう事に疲れてしまっています。
元々、自信がなく、子供の頃から、親の顔色を見て生きてきたせいか、人に話しかける時も、緊張して、ドキドキして自然体で話せません。
                   神戸市在住  会社員 31歳 男性
回答  「あるがまま」に生きる
不安症の人は、自分の不安を中心に物事を考えがちです。つまり、気分本位になってしまうのです。
気分の良し悪しにばかり注意が向くと、苦悩の原因になるのです。
気分を排除するのではなく、気分は気分のままで「あるがまま」に抱えておき、「今日できた事」「今できる事」を大事に考えましょう。
やるべき事をやってきちんと終わったのだから目的を達成できてよかったと考えるのが目的本位です。気分は置いておいて、きっちり働いたからOKと客観的に目的本位で考えれば、悪い日ではなかった事になります。このように、気分と行動を分けて考え、行動するという事が大事です。
不安の裏には「生の欲望」があり、この願望がかなわないから思い悩むわけです。次に、不安症の人は、出来ない事をしようとし、出来る事をやろうとしない傾向があります。
あなたの場合、出来ない事とは上司のあなたへの評価です。出来る事とは、仕事を地道に覚える事です。
不安と、その根源にある恐怖は、人間だれもが持っている自然な感情であり、その裏側にはよりよく生きようとする人間本来の「生の欲望」があります。
不安も生の欲望も、どちらも自然な事として受け入れる必要があり、それが「あるがまま」ということです。不安を排除しようと考えるのをやめ、たとえ不快でも、そのままにしておく事から始めます。
不安の裏にある生の欲望を建設的な行動によって発揮していく事が脱出のキーポイントです。考えすぎる事をやめ、何でもいいから手をつけて行動を起こし、作業をしながら考えていくといい結果が生まれるのです。不安感をそのまま抱えながら行動する事が捉われから脱却するための一番の方法です。
湧いてくる不安感は恐怖感、他者が自分をどう見るかなどは簡単にコントロールできませんが、自分の行動は自分でコントロールできるのです。行動を通して事実をみつめ、自分を深く自覚していうことが治療になるのです。

質問:不安感と生きたい欲望はコインの表裏

私は他人からどう思われているかを余りにも気にするタイプで、自分に自信がありません。
先日、会社の行事の為の責任者を決める事になり、課の中で私が候補に私が上がってしまいました。
しかし、私は同時にいくつかの仕事を掛け持つ事がとても苦手で、今の仕事だけで精一杯の状態でした。
それに自信もない為、ちゃんと役割を果たせるのかと不安になり、その場で承諾できずにいました。
結局くじ引きをする事になり、同じように忙しい同僚が責任者になりました。私が今の状態で精一杯だと言いづらくて伝える事ができませんでした。
以来、受け持っている仕事量の少ない私がやるべきだったかもしれないとずっと気になっています。
その同僚に嫌われているんじゃないか、悪口を言われてるかも、などと不安で仕方ありません。
罪悪感が消えず、やらなくてはならない仕事にも身が入らなくなってきました。            東京在住  22歳  会社員

回答:「出来る事を地道に続ける」

人は、他者からの評価を気にせずに自分らしく生きていると実感できる時、自分を愛する事ができます。
しかし、過剰な自己愛をもつと、他者からの評価や賞賛を求めるようになり、他の人にどう思われているかと過剰に意識し、思うような反応を得られないと、悩み、他者から賞賛を得る事に捉われている自分に嫌悪感を抱き、自分を愛せなくなるのです。
「不安・恐怖」と「生きたいという欲望」はコインの表裏の関係です。
つまりあなたが同僚から嫌われているんじゃないかという不安は、同僚から認められたいという「生きたい欲求」があるという事なのです。
しかし、不安・恐怖で一杯な時には、それしかみえなくなっていきます。
不安感を否定したり、無理やり取り除こうとすると、もとにある「生きたい」という欲望をも否定する事につながり、したい事もできず、更に不安感を高めてしまう事になりかねないのです。
不安から逃れる事にエネルギーが注がれ、したい事、しなければならない事がおろそかになり、行動できなくなるのです。
「出来ない事」をしようと必死になっていると、「出来る事」に目が向きません。しかし、どんなに苦しいときも、「出来る事」はあります。
恐怖感や不安感は打ち消しようがありませんが、自分の行動は自分の意思で変えられます。
目の前のやるべき事を淡々とやっていけば、不安感は自然と変化していきます。「よりよく生きたい」という欲望があるから悩みが生まれるのです。
思いどおりにいかないからこそ、悩みが生まれるわけです。
あれこれ思い悩み、何も手につかない状態から、悩みながらも行動してみる事です。あなたの今の悩みを乗り越えるためには、「出来る事」を地道に続ける事です。

質問「対人恐怖症」

一昨年の12月、急な人事で、人事課から経理課に配属されたのですが、余りに仕事内容が不慣れで上司の課長に相談したら「分からないのは当然。ゆっくり覚えていったらいい。分からない事があったらいつでも聞きに来てね」と言われ、安心していたのです。
ところが経理の基礎知識が余りになくて、対人恐怖症という課題を抱えているので、分からない事を聞きにいくのが苦痛なのです。最初の数か月は快く質問に対応してくれていたのですが、不安症からか、指摘されるとパニックになる傾向がある為、理解出来ていないにも関わらず「はい、分りました」と応答してしまい、再度聞きに行くと「君は自分で考えてない」「何度教えたら分るの」とか言われてしまいます。
先月、「別の課にしてほしい」と伝えたら「何もしなくてもいいから」と言われてしまいました。
呆れられながら教えてもらう事に疲れてしまっています。
元々、自信がなく、子供の頃から、親の顔色を見て生きてきたせいか、人に話しかける時も、緊張して、ドキドキして自然体で話せません。
                   神戸市在住  会社員 31歳 男性

回答「あるがまま」に生きる
不安症の人は、自分の不安を中心に物事を考えがちです。つまり、気分本位になってしまうのです。
気分の良し悪しにばかり注意が向くと、苦悩の原因になるのです。
気分を排除するのではなく、気分は気分のままで「あるがまま」に抱えておき、「今日できた事」「今できる事」を大事に考えましょう。
やるべき事をやってきちんと終わったのだから目的を達成できてよかったと考えるのが目的本位です。
気分は置いておいて、きっちり働いたからOKと客観的に目的本位で考えれば、悪い日ではなかった事になります。このように、気分と行動を分けて考え、行動するという事が大事です。
不安の裏には「生の欲望」があり、この願望がかなわないから思い悩むわけです。
次に、不安症の人は、出来ない事をしようとし、出来る事をやろうとしない傾向があります。
あなたの場合、出来ない事とは上司のあなたへの評価です。出来る事とは、仕事を地道に覚える事です。
不安と、その根源にある恐怖は、人間だれもが持っている自然な感情であり、その裏側にはよりよく生きようとする人間本来の「生の欲望」があります。
不安も生の欲望も、どちらも自然な事として受け入れる必要があり、それが「あるがまま」ということです。不安を排除しようと考えるのをやめ、たとえ不快でも、そのままにしておく事から始めます。
不安の裏にある生の欲望を建設的な行動によって発揮していく事が脱出のキーポイントです。
考えすぎる事をやめ、何でもいいから手をつけて行動を起こし、作業をしながら考えていくといい結果が生まれるのです。不安感をそのまま抱えながら行動する事が捉われから脱却するための一番の方法です。


質問

私は他人からどう思われているかを余りにも気にするタイプで、自分に自信がありません。
先日、会社の行事の為の責任者を決める事になり、課の中で私が候補に私が上がってしまいました。
しかし、私は同時にいくつかの仕事を掛け持つ事がとても苦手で、今の仕事だけで精一杯の状態でした。
それに自信もない為、ちゃんと役割を果たせるのかと不安になり、その場で承諾できずにいました。
結局くじ引きをする事になり、同じように忙しい同僚が責任者になりました。私が今の状態で精一杯だと言いづらくて伝える事ができませんでした。
以来、受け持っている仕事量の少ない私がやるべきだったかもしれないとずっと気になっています。
その同僚に嫌われているんじゃないか、悪口を言われてるかも、などと不安で仕方ありません。
罪悪感が消えず、やらなくてはならない仕事にも身が入らなくなってきました。            東京在住  22歳  会社員

回答「「出来る事を地道に続ける」
人は、他者からの評価を気にせずに自分らしく生きていると実感できる時、自分を愛する事ができます。
しかし、過剰な自己愛をもつと、他者からの評価や賞賛を求めるようになり、他の人にどう思われているかと過剰に意識し、思うような反応を得られないと、悩み、他者から賞賛を得る事に捉われている自分に嫌悪感を抱き、自分を愛せなくなるのです。
「不安・恐怖」と「生きたいという欲望」はコインの表裏の関係です。
つまりあなたが同僚から嫌われているんじゃないかという不安は、同僚から認められたいという「生きたい欲求」があるという事なのです。
しかし、不安・恐怖で一杯な時には、それしかみえなくなっていきます。
不安感を否定したり、無理やり取り除こうとすると、もとにある「生きたい」という欲望をも否定する事につながり、したい事もできず、更に不安感を高めてしまう事になりかねないのです。
不安から逃れる事にエネルギーが注がれ、したい事、しなければならない事がおろそかになり、行動できなくなるのです。
「出来ない事」をしようと必死になっていると、「出来る事」に目が向きません。
しかし、どんなに苦しいときも、「出来る事」はあります。
恐怖感や不安感は打ち消しようがありませんが、自分の行動は自分の意思で変えられます。
目の前のやるべき事を淡々とやっていけば、不安感は自然と変化していきます。
「よりよく生きたい」という欲望があるから悩みが生まれるのです。
思いどおりにいかないからこそ、悩みが生まれるわけです。
あれこれ思い悩み、何も手につかない状態から、悩みながらも行動してみる事です。
あなたの今の悩みを乗り越えるためには、「出来る事」を地道に続ける事です。