回答は向井敬二です 掲載に関しましては、内容はご本人の了解を得ております。
質問「雑用ばかりの仕事に嫌気がさしています」第一希望の広告代理屈に就職して二年になります。イベントの企画がやりたくて入社したのですが、企画のほとんどすべては先輩が仕切っていて、私の仕事といえばイベントに参加するお客さんの整理や会場の準備などです。たまに先輩が忙しい時には講師の出迎えや世話などにあたることもあるのですが、
私にとっては「雑用ばかりでうんさり」なのです。同期に入ったBさんは先輩についてイベントの進行の手伝いをしているのに、「なんで私ばかりどうでもいいことばかりなの、いつまでこんな雑用をやらせるの? いいかげんにしてほしい」とイライラする毎日です。
札幌市在住 25歳 男性 広告代理店勤務
回答 「雑用は本当にやりがいのないことでしょうか」
雑用ばかりでイヤになる、という話はよく聞く話ですが、では何が雑用で何がやりがいのある仕事かという基準は一体何なのでしょうか?
社員研修をしていると「こんなつまんないこと、どうして俺がやるんだ」という態度で仕事をしている社員は結構多いんです。つまり、「心を込めてできる人が少ないんだなあ」と思うことがあります。
雑用って何なのでしょう。自分らしさが生かせない仕事を雑用というのでしょうか。自分らしさを生かせていないから雑用なのでしょう。でも、自分らしさを生かすやり方だってあるはずです。以前に、講演会に伺った先の駅に車で迎えに来て下さった方が、会場までの間、参加者の状況などをきちんと説明してくださり、居心地の悪さを与えない心遣いが感じられました。彼の仕事ぶりは決して雑用ではありませんでした。どんな仕事も、その仕事を雑用にするかしないかは、仕事自体ではなく、それをする人が決定するのです。
コピーをとったり、届けものをしたり、掃除をしたり、そんなことを雑用にしない為にどうするか?
一見雑用といわれる仕事に自分らしさを生かすにはどうするか?
これは中々大変な事かもしれません。コピーにその人らしさが生かせるなら、その人はどんな仕事にも十分自分らしさを生かせるでしょう。
あなたの中には、「こんな雑用ばかりしていたら一生これで終わってしまう」「いつまでたっても重要な仕事ができない」と心配になっているのかもしれませんね。でも、上司は、常に見ているのです。雑用を自分らしくやっている人をみれば、安心してより重要な仕事をしてもらえると思う筈です。逆に、雑用を雑にやっている人をみると、重要な仕事を雑にやられたら困ると感じて重要な仕事を任せることはなくなるものです。上司が人をみる目がなくて、あなたに気がつかなくても、あなたの仕事ぶりをみている人は必ずどこかにいるものです。見る目のある人がより重要な仕事をあなたにまわしてくれるようになる筈です。きっとあなたの仕事を見ている人はいます。
質問「自分と他者の待遇を比べしまう」
勤続4年になります。先日、学生時代の友人達と久しぶりに飲み会をしたのですが、年収の差に愕然としてしまいました。自分でも気にしていたのですが、こんなに開きがあるのかと羨ましくなり、このままこの会社にいることに戸惑いが出てきました。今の年齢なら転職も間に合うかとも思うのですが、給料だけで考える事にも戸惑いがあります。
どのように捉えていけばいいでしょうか?
神戸市在住 26歳 男性 会社員
回答 「他者と給料を比較する前に、会社への貢献度を比べましょう」
会社に対する不満として、「仕事の内容」、「人間関係」と並んで抱きがちなのは、「給料」に関することではないでしょうか。こんなに働いているのに、これしかもらえないという不満は多くの人が持っているはずです。「他社に勤める友人に聞いたら、みんな自分より給料が高かった」と同世代と比べて気にする人も沢山いるでしょう。そんな時、考えてほしいのは給料や福利厚生などの「待遇面」と自分が会社に与える「貢献度」です。
自分の給料と他人の給料を比べるのではなく、会社からの待遇と自分の貢献とを比べてみることが大事になります。つまり、もらっている給料に見合うだけの仕事を自分ができているかどうか、自分がどれくらい会社に利益をもたらしているかを考えてみてほしいのです。
友人と比較するなら、待遇面だけでなく貢献度を比べることも必要ではないでしょうか。友人と比べて、自分は明らかに会社への貢献が大きいかどうかということです。こう考える人は、多くないと思います。自分と他者の待遇を比べるから不満を抱いてしまうのではないでしょうか。
もしあなたが、友人に比べて、待遇面よりも貢献度のほうがはるかに大きいと思ったなら、「給料が安すぎる」と嘆くことはありません。むしろ、誇っていいと思います。会社(共同体=仲間)への所属感・共感・信頼感・貢献感は、精神的な健康の指針です。
自分の居場所を作り、周囲の人たちを信頼して役に立とうとするのが心情組織、共同体感覚です。待遇と貢献を比較し、自分が会社という共同体にどれだけ貢献できているかを考えてみてください。
もし貢献が大きいと感じることができれば、それは共同体感覚、本心からの幸福感につながっているともいえます。会社からの待遇よりも自分の貢献のほうが上回っているのであれば、それは誇るべきことです。
「給料が安い」という不満よりも、むしろ満足していいのです。現実的に考えても、貢献が大きい人間なら誰かが評価してくれます。それは社内での評価には限りません。いつか転職を考えたときに、引く手あまたになるかもしれないのです。貢献の大きい仕事をしていれば、きっといい巡り合わせがやってくるでしょう。他者と共感し、周囲と信頼し合って貢献したいと思うことがあなたの幸せな人生、居場所を作りにつながると確信します。
質問「今の仕事は向いていない」
大学で建築を学び、建築士の資格を所得しました。それを活かして働きたい、「生きがいのある仕事」ができる、自分が設計した建物を建てられると意気込んで今の会社に入社しました。
ところが配属されたのは経理部。「話しが違う」という落胆は激しかったです。
辞めようかと思ったのですが、父が「先ずは3年、黙ってやってみろよ。何か見えてくるかもしれないよ」と励ましてくれたこともあり、今に至りました。毎年、希望の配属先のアンケートに「設計」と
書いて出しています。そして今年、3年を過ぎたのですが、今のままです。
「今の仕事は向いていない」という思いが益々強くなってきています。
東京都在住 25歳 男性 建設会社勤務
回答 「自分が置かれた環境をどう捉えるかは自分次第」
働いていれば、様々な困難にぶつかり、悩み、「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」と考えてしまうこともあると思います。
自分が希望する会社に入ることができたとしても、会社という組織で働く以上は必ずしも希望する部署に配属されるとは限りません。逆に、希望する部署から異動になってしまうこともあります。しかし、それは、意に沿わない配属先から異動になるかもしれないということでもあります。
一年、二年という単位で見れば「向いていない職場」はあるかもしれませんが、五年、十年という単位でみると、異動以外にも仕事内容の変化、気が合わない上司や同僚の異動・退職など、様々な変化が起きるわけです。「出来事が人を不幸にするのではなく、その出来事をどう捉えるかである」という話があります。
つまり、希望する仕事につけないという逆境に陥っても、その困難をどう捉えるかにより、人生に価値が生まれるという事です。そう考えると、短い時間で「自分の向き不向き」を決めてしまうのは、余りにも早計かと思います。そういう捉え方ですと、結局どの職場でも「自分は向いていないんじゃないか」と悩み続けることにもなりかねません。
人間は過去や環境で運命が決まるのではなく、自ら運命を創造する力があります。あなたがもし、辛い環境にあったとしても、そのこと自体があなたの運命を決めるのではなく、今のあなたがどのように捉えるか、どう意志決定するかで「人生の主人公」として生きることができるということです。職場への不適応感は、あなた自身が感じるものであり、置かれた環境をどう捉えるかは自分で決められるということです。どんな環境でも、しっかりと生きることはできます。
与えられた場所で懸命に生きるか、後悔と挫折ばかりを感じるか。どちらがいいのかは明白です。願わない職場でも頑張って仕事をした経験は、必ず自信につながります。不本意な場所をどう捉えるかです。
頑張るのか、虚しい日々を過ごすのか。それは自分自身で決められることなのです。
質問「自己肯定感が低い」
私は子供の頃から困った出来事にあうと、つい「自分なんて」「どうせ自分なんか」という思いが出て、人がうまくいっていると「どうして○○さんのようになれないのだろう」と落ち込んでしまうのです。
そういう思考のクセが社会人になった今もぬぐえません。誰も自分を理解にしてくれないという信念のようなものが出来上がっています。
「こんな自分はダメだ」と自己否定的になり、何をやってもどうせ意味がない」と無力感を覚ます。
どうしてこうなってしまうのか、どうしたら変われるのか、ヒントをお願いします。
神戸市在住 31歳 男性 公務員
回答 『「他者を尊重する」と自己肯定感が高まる』
「こんな自分はダメだ」「どうせ私なんて」と自分で自分をいじめてしまう人達に共通している問題は、「自己肯定感」が低いことです。
自分が他人よりも価値の低い人間だと感じるのです。
「自己肯定感」とは、「優れた自分」を誇りに思うことではなく、「ありのままの自分」をこれでよいと思える気持ち、あるいは、「自分を大切にする事ができる」という事です。「何をやってもどうせ意味がない」と無力感を覚えたり、「こんな自分が、どうやって生きていけるのだろうか」と不安になったり、かなり低い人になると、自分など生まれてこなければよかったのではないか、と投げやりになることもあります。
自己肯定感が低いということは、自分で自分をいじめているようなもの、自分を傷つけ続けるようなものなのです。「ありのまま」の自分を出すことが出来ません。一方、自己肯定感が高いと、問題が起こったときに、自分のダメな所探しをすることなく、「もうダメだ」と絶望的になるよりも、「まあ、何とかやってみよう、何とかなる」という感覚を持ちやすくなります。自分を責める事なく、「今回は仕方ない。次はうまくやろう」という前向きな捉え方をする事ができるのです。ではどうすれば自己肯定感が高くなるのでしょうか。
先ず第一に「他人を尊重する・敬意を払う・大切にする」という事です。
他人を尊重できれば、自分のことも尊重できる、つまり自己肯定感が高まるのです。「○○が優れているから」尊重するという「条件つきの尊重」ではなく、無条件でその人の存在に対して感じる事ができる「尊重・敬意」があります。無条件の尊重です。その人が何かに優れていなくても、頑張って生きている、ということに敬意を感じる事ができる。
「自分から見れば理想的なものではない」「00でなければ意味がない」と切り捨てず、傷つきながらも、不器用であっても、その人が生きていることに愛おしさを感じ、「かけがえのない存在」として尊重できる感覚です。「評価」をいったん手放して「ありのままを無条件に受け入れるということ。
何でも肯定することとは違います。
質問「自分の欠点がいやでたまりません」
育児をする時に、「まず子供の欠点より長所に気がついて下さい」とよく言われるのですが、長所より短所の方、ダメな方に沢山気づいてしまい、子供に「あなたのこういう所は、早く直さないといけない」と叱ってしまい、「ありのままの子供を受け入れる事が大切」といわれますが、とても難しいです。欠点や弱点は直していくように、しつけたり、注意した方がいいのではないかと思います。
岡山市在住 38歳 主婦 子供 4歳 夫 自営業
回答 「短所よりも長所に目を向け、いい面を気づかせてあげること」
子供を教育したり、しつけたりしていく時の態度には、その子の持っている短所や欠点を、注意して直してあげようという態度とその子の持っている長所を発見して、伸ばしてあげようという態度の二つがあると思います。
「そんなことをしてはいけないでしょう、こう直しなさい」といっているか、「よくできたね、あなたには才能があるんだから伸ばしていこう」といっているか、この二つです。一般的には、しつけの第一歩は、弱点や欠点を直すように指摘するといわれているのではないでしょうか。
親はしばしば、その子の短所やダメな点から注意をしたくなるものです。
子供は、自分の事を大好きだと言ってくれる人に恵まれると自信と誇りを持って、生きていく事が出来ると思います。ありのままの自分を受け入れてもらえなかった、愛してもらえなかったという場合、自分に自信が持てなくなってしまうものです。自分をありのままに認める、自分を好きになる、自信を持つということが中々できなくなるのです。大切な事は、その子に長所の方を沢山気づかせてあげ、欠点や弱点はずっと後で直せばいいという考え方を持たせてあげた方が賢明だと思います。育児は、その子が持っているいい点をしっかりと見つけてもらい、そのまま子供に気づかせてあげ育てられていくのがいいと思います。
そして、目にあまる弱点や欠点は中々直せるものではないですから「うるさくいわないでおいてやろう」というぐらいの気持ちで徐々に直していくという事です。親が、短所も欠点も、長所も、みんなひっくるめて「あなたがいてくれるだけで嬉しい」「あなたのこと大好きだ」「あなたはすばらしい人間だ」と感じ取ることだと思います。たった一人でも、自分の事を無条件で承認してくれている、素晴らしいといってくれる、そういう人がいれば、人はかなり安心して生きていく事が出来ます。
子供の持っている短所や欠点などを、注意して早く直しておいてあげないと、そのうち困ったことになるとしても、今すぐに直さなければならないということは、それほどないと思います。
子供はありのままでしかいられないということでもあるのです。
教える事を急がず、育ってくるのを待ってあげて下さい。
質問「「ねばならない」が強すぎる」
私は、家族や職場の人が、私の「00でなければならない」という考えに当てはまらないと、怒りが湧いてきます。それに人からどう思われているのかという評価が気になって仕方がありません。
その上、なんでも完全にやり遂げたい、「~するべき」と自分にも当てはめてしまうため、完璧に出来ないと「何をやっても私は駄目なんだ」「自分は誰からも好かれないだろうな」と落ち込んでしまいます。
何とか抜けだせないでしょうか?
広島市在住 27歳 会社員
回答 『「~であるべき」が強すぎる完璧主義』
「~であるべき」という考えを持つからこそ、向上心が生まれ、理想に近づこうとする努力は、賞賛に値します。ただ、理想と現実はしばしば食い違うものです。「自分の力ではどうにもならないこと」にまで「べき」主義を押し通す生き方は、どこかで必ず挫折します。
何でも完璧にやり遂げたい、「~べき」という生き方の強い方は、ある共通した問題を抱えています。
「~であるべき」と思う完璧主義は、不快を取り除こうとする感情に振り回されやすいのです。人に対して「決めつけ」てしまう傾向がある為、相手の背後の気持ちが見えなくなりやすいのです。
自分の「~であるべき」に当てはまらない人を見ると許せなくなったり、自分の「べき」理想に当てはめ、コントロールしようとします。
白黒はっきりさせたがり、自分の「べき」主義の邪魔になる不快な感情は、なんとしても取り除こうとします。ダメと思ったら絶対にダメ、ものごとをあいまいなままにしておくことが苦手なのです。
その上、仕事や勉強など、完璧にこなそうとして、手を抜くことができません。
親としての「べき」主義になると子供に対しても、「理想の子供像」に当てはまる存在になることを期待ししてしまい、親の願う子供に育てようとしてしまうのです。「~であるべき」が強すぎる完璧主義は、「こだわり」という「とらわれ」なのです。では、どうすればいいのでしょうか?
全てに完璧を求めても無理です。先ずは、「100点でなければ0点と同じ」と考えず、「60点でもよし」としましょう。曖昧さを許し、自分のこだわりは先送りしていきましょう。相手には自分の知らない「事情」があるかもしれないと思う事の大切です。
気になっている事があっても我慢し、放っておく時間を徐々に延ばしていきたいですね。
過去と他人は変えられません。自分のできない事をしようとせず、今自分が出来る事、自分がしたい事があればそれをしてみましょう。そうすると「こだわり」が後回しできるようになり、徐々に捉われから脱却できるようになると思います。
質問「はっきり「ノー」と言えない自分にイヤになってしまう」
夫の仕事を手伝い、姑の介護をしています。大学を卒業し、外資系の企業で仕事をしていたのですが、お姑さんが「子育てに専念するのがよい」と言った為に、よい妻、よい嫁でいたくて仕事をやめたのです。いつかは仕事に復帰したいと思いながら毎日の家事や家業の手伝いに追われ、子供が独立しやっと一息ついたと思ったとき、自分は一体今まで何をしていたのだろうと虚しくなってしまいました。自分のやりたい事をせず、姑の為、家の為、子供の為だけできたけれど、姑に頼まれる仕事はノーと言わずすべて引きうけてきた結果、自分の人生は何だったんだと落ち込み、うつ状態に陥ってしまったのです。ノーと言えず、イヤでもついつい引きうけては後悔するというくりかえしで、結局、後で疲れ切ってしまう。そんな自分がイヤになってしまいます。上手に断る方法ってないでしょうか。
京都市在住 50歳 主婦 夫 自営業
回答 「自分がどこまで引きうけるかという限界を見極める」
断ったら、相手の気分を害し、相手との関係が悪化し、もう自分に声をかけてくれないのではないかという恐れがあったり、それならイヤイヤでも引きうけた方が楽という事もありますね。
かつて日本では、夫や姑に逆らわず、いつもニコニコして愛想がいいのがいい嫁、それがよい生き方であるとされてきました。私達の心の底には、ノーと言う事が良くない事、周りの人の期待に応え我慢しながら耐える事がよい事という刷り込みがあるようです。引き受け過ぎると、言いたい事を言わずに我慢し、心の中に欲求不満が溜まり、限界まで達すると、ちょっとした引き金でそれが爆発し、キレやすくなりがちです。それに、心の中に溜まった欲求不満の為にうつ状態に陥ったりしやすいです。言葉でノーと言わないかわりに、心身の症状として表現しやすいのです。必要な時にはノーと言う必要があります。
もっと根本的な問題は、周りの人の期待に応えようと頑張るのですが、自分が本当にやりたい事を我慢してしまう為に自分らしい生き方が出来ず、不本意な生き方をしてしまうという事があるのです。ノーと言う事は自分勝手とは違います。
ここまでは引きうける、これ以上はノーと言う、引きうけられる限界点を明確にし、言い訳せずにストレートに断るほうがいいでしょう。次第に周りの人にもあなたの限界点がはっきりし、ノーというのが気分で決まるのでなく、ある基準を元にしている事が周りの人に伝わるものです。そうすると周りの人も過剰に頼んでくる事はなくなるはずです。ノーと言う事は自分の限界点を提示しているのだと考えれば、言いやすくなるでしょう。ノーはノーでいいのです。弁解は必要ないのです。「またこの次に」などという社交辞令は、本当に誘って欲しい時以外は言わない事です。ノーと言った後の相手の反応を恐れない事です。
質問「自分にむいた仕事がみつからなくて」
医療関連の研究室の秘書をしています。先生方のスケジュールの調整をしたり、資料を集めたり、連絡業務をしたりという仕事内容です。4人の同僚秘書の中で私は一番上司に評価されていないように感じます。上司は重要な仕事は他の人に頼むので「認めてもらっていない」という気持ちがぬぐえません。
いくら頑張っても「よくやった」と言ってくれず、他の皆が頑張ってバリバリやっているのをみると、この仕事は自分に向いていないんじゃないかとつくづく感じています。早く自分に向いた仕事を見つけたいです。
仙台市 女性 29歳 独身
回答 会社に入って自分らしい仕事ができない、自分が一生懸命やっているのに上司に認めてもらえないと悩んでいる方は多いです。
自分に向いた仕事を見つけようとしてもそう簡単には見つけられない事に気づくものです。
あなたの質問内容をみて、私なりに気づいたことをお伝えしたいと思います。
上司に認めてもらうことばかり考える必要はないのですが、あなたの仕事スタイルについての点検は必要でしょう。
第一に、あなたの一生懸命は空まわりしていないか、ということです。
今、ここで何を一番にやらなければいけないか、何を急ぎで仕上げるか、という順番を考えて仕事をしているでしょうか。
次に職場が今、必要なことについて客観的に判断する視点が評価につながります。そしてあなた自身も、そうした仕事の方法で職場全体を把握していく仕事の楽しみを得られるはずです。自分のやりたいことをやりたいようにしているだけで全体をみないということは成長につながらないのです。
第三に、「これだけは必ずきちんとできる」というものをもっていることでしょう。
何をたのんでもいくつかぬけていたり、同じ仕事なのにできるときとできないときがあったりというように、「できること」がない人は信頼されません。あの人にたのんでもきちんとやってくれないかもしれない、と思うと上司はより信頼度の高い人に仕事をたのむことになります。
「この人にたのめば、このことは大丈夫」というものを作っておくことです。どんなに小さなことでも、それがその人の専門です。その専門を少しずつ積み上げていくことが評価につながります。何をたのんでもやりとげられずいいかげん、という態度は信頼されないのです。
実践してそれでもなお上司があなたを評価しないのなら、そんな上司の評価を求めようとするのはやめにしたほうがよいでしょう。ただしその場合でも実践はつづけましょう。それはあなた自身のためで、上司のためではありません。そうした仕事の方法をつづけることであなたの実力がついてくるはずですから。
過去と他人は変えることは出来ませんが、自分を変えることは出来ます。
自分らしい仕事はもちろんですが、まずは経済的に自立し、そのステップを作ったら少しずつ自分の好きな仕事に向かってシフトしていけばいいのです。
質問「人に拒否されるのが苦手」
休日に子供とファミレスに食事に行くと、子供の同級生のお母さんの家族が食事をしていたのです。私はそのお母さんが苦手なので、早く食事を済ませて、立ち去ろうと思ったら、子供がその同級生に声をかけられてそっちへ行ってしまったのです。呼んでもなかなか来ないので、結局先に外に出て待っていました。
家に帰ってから、「どうして呼んでるのにすぐに来なかったの!」と子どもにきつく当たってしまいました。私は、子供の頃から、気に食わない人とは目を合わさないように避けてきたのです。
それに、人間嫌いの傾向が強く、知っている人と出くわしても、気づかないふりをすることも多かったのです。小さい頃から親の顔色を窺い、本音を言う事を避けてきました。
本心では、甘えたかったし、親に認めてほしい、思っていることを黙って聴いてほしかったのですが、
否定される事に怯えていました。
親に良いところだけ見せようとしていたと思います。
これでは子育てに良くないと思いますが、どうすればいいでしょうか?
福岡在住 38歳 主婦 夫 会社員 38歳 子供10歳 8歳
回答「自分の中にある対人拒否の核を解凍しましょう」
多くの子どもたちが、程度の差はあれ「ありのままの本当の自分自身でいては愛されない」と感じて育ちます。それが後に、「人にどう思われているかが気になる」「自分は何をしたいのか、何が好きなのか嫌いなのかが分からない」「自分の気持ちが分からない」などの現象につながります。親から好かれているか、認めてもらえるかどうかを気にし、自分の本当の感情を抑えつけて育ったからです。
幼い頃に親との安定した心の絆が結ばれず、苦痛に耐えてきたとしたら、わが身を守るのに必死だったでしょうね。相手の立場に立って考えたり自分の非を顧みるよりも、防衛を優先せざるを得なかったろうと思います。その為、対人関係に過敏で、心の底からの信頼や親しみを持ちにくく、ささいなことにも傷ついたり、過剰に気をつかったりしがちだったろうと思います。
人に傷つけられないように警戒しすぎて心を開けないために、人を寄せつけない態度で、自分から孤独になってしまうのでしょう。
今のあなたにとって大切な事は、あなたを脅かさず、一緒に受け止めてくれる人、求めたら手を差し伸べてくれる優しい母親のような存在を持つ事です。
一人孤独に嘆き、苦しむよりも、その人に思いの丈を語り、あなたの人生で何が起きたかを語ることによって、あなたを苦しめている「人間に対する拒否反応を起こす核」が解凍されていくと思います。
適切な人がいなければ、カウンセラーでもいいです。
理不尽で、納得できないと感じた出来事、自分を傷つけた出来事を語り、その一部でも共感してもらうことによって、辛い体験を乗り越えていく重要な手立てとなるでしょう。
悲しみは感じる事、その痛みの声を共感してもらう事で傷が癒えていくのです。
自分が受けた体験、それによって生じた心の傷は一体何だったのか。どういう意味があったのか、その意味、メッセージを聴きとるのです。
あなたがこれまで避けてきた課題に、いよいよ向き合うべき時が来た事を教えてくれているのかもしれません。最後に、苦手な人はどうして捉われるかというと、「第二の自分」だからです。
医療関連の研究室の秘書をしています。先生方のスケジュールの調整をしたり、資料を集めたり、連絡業務をしたりという仕事内容です。4人の同僚秘書の中で私は一番上司に評価されていないように感じます。上司は重要な仕事は他の人に頼むので「認めてもらっていない」という気持ちがぬぐえません。いくら頑張っても「よくやった」と言ってくれず、他の皆が頑張ってバリバリやっているのをみると、この仕事は自分に向いていないんじゃないかとつくづく感じています。
早く自分に向いた仕事を見つけたいです。
仙台市 女性 29歳 独身
回答:会社に入って自分らしい仕事ができない、自分が一生懸命やっているのに上司に認めてもらえないと悩んでいる方は多いです。
自分に向いた仕事を見つけようとしてもそう簡単には見つけられない事に気づくものです。あなたの質問内容をみて、私なりに気づいたことをお伝えしたいと思います。上司に認めてもらうことばかり考える必要はないのですが、あなたの仕事スタイルについての点検は必要でしょう。
第一に、あなたの一生懸命は空まわりしていないか、ということです。
今、ここで何を一番にやらなければいけないか、何を急ぎで仕上げるか、という順番を考えて仕事をしているでしょうか。
次に職場が今、必要なことについて客観的に判断する視点が評価につながります。そしてあなた自身も、そうした仕事の方法で職場全体を把握していく仕事の楽しみを得られるはずです。自分のやりたいことをやりたいようにしているだけで全体をみないということは成長につながらないのです。
第三に、「これだけは必ずきちんとできる」というものをもっていることでしょう。何をたのんでもいくつかぬけていたり、同じ仕事なのにできるときとできないときがあったりというように、「できること」がない人は信頼されません。あの人にたのんでもきちんとやってくれないかもしれない、と思うと上司はより信頼度の高い人に仕事をたのむことになります。
「この人にたのめば、このことは大丈夫」というものを作っておくことです。どんなに小さなことでも、それがその人の専門です。その専門を少しずつ積み上げていくことが評価につながります。何をたのんでもやりとげられずいいかげん、という態度は信頼されないのです。
実践してそれでもなお上司があなたを評価しないのなら、そんな上司の評価を求めようとするのはやめにしたほうがよいでしょう。ただしその場合でも実践はつづけましょう。それはあなた自身のためで、上司のためではありません。そうした仕事の方法をつづけることであなたの実力がついてくるはずですから。
過去と他人は変えることは出来ませんが、自分を変えることは出来ます。
自分らしい仕事はもちろんですが、まずは経済的に自立し、そのステップを作ったら少しずつ自分の好きな仕事に向かってシフトしていけばいいのです。
質問:やりがいのある仕事がしたい
車の製造の現場で仕事をしています。勤続15年になります。当初は車が好きで、上司や先輩から教えてもらったり、結果を評価されるのが嬉しかったのです。仕事にはとりたてて何の不満もないし、給料もとりたてて何が問題ということはないのですが、年々新しい技術が導入され、それに対応する事が重荷になった事と、同じ事の繰り返しということもあって、このままでいいのかなあと虚しく思う事が多くなりました。もっと自分に向いているやりがいのある仕事をするには、この年齢が限界かと思っています。
会社員 36歳 独身 名古屋在住
回答:仕事にもある程度慣れ、仕事をこなしているにもかかわらず、それ程情熱も感じられず「こんな事でいいのかなあ」というその虚しさは、「もっと人から認められる事」では埋められないという事を理解してください。人から評価され称賛される事を追い求めていても、虚しい思いからぬけ出す事はできないのです。何か虚しい、そんな状態になったあなたは、決してダメなあなたではないのです。
大切なのは、その悩みがあなたに何を問いかけているのかという事でしょう。マズローという心理学者は、人間の欲求に対して次のように言っています人間の欲求の中で最も基本的なものは、①「生存欲求」(食べ物など)であり、これが満たされると②「安全への欲求」。そして、次に三番目の欲求として「所属と愛」に対する欲求。これは、家族や仲間の中に所属し愛されたいという欲求。これが満たされると四番目の欲求として「承認欲求」。他人や周りから認められたいという欲求。しかし、これらが満たされてもなお満たされないものがある。それが、「自己実現欲求」(自己=魂)と指摘しています。自分にしかできない固有の生き方をしたい、自分らしく自分の可能性を生かしたい、という事が自己実現欲求なのです。
多くの人は自分らしい生き方をみつけようとするのではなく、四番目の「承認欲求」を追求しつづける人がとても多いのです。いつまでたっても、「周りから認められる事」です。しかし、それは人生のゴールではありません。あなたは一応自分の力で①を確保し、次に会社や社会の一員として「所属」しています。にもかかわらず、「このままでいいのか」と何か虚しいのは、人生への転換期の始まり、あなたがすでに五番目の欲求レベル、自己実現への道の第一歩が始まったという事なのです。
今迄の仕事や生活に加えて、自分らしい固有の生き方をしたい、という願望をもった事の証明なのです。自分が本当にしたい事、自分らしい固有の生き方、自分らしさを生かせる事を、どんな小さな事でもひとつひとつ実行し積み重ね,自分を認めていくことが自己実現への第一歩なのです。
そして、「無条件の他者貢献」が喜びになる事が本来の自己実現です。
質問者 「結婚をすべきか」
Kさん 30代 独身OL
名古屋在住母から会うたびに結婚の話が出ます。結婚を拒否しているわけではありません。仕事からもどり、一人になると「このままだと孤独死…?」などと思うことがあり、寂しくなります。女子会などでは「結婚なんて面倒くさいことをわざわざする必要があるの?どうして結婚と言う重荷を背負わなくちゃいけないの?」という友人もいます。確かに、結婚することで自由な時間を犠牲にして家事をしたり、経済的な理由から欲しい物を買えなかったりと、様々なことを我慢しなければならないかと思うと、結婚を躊躇する気持ちが出てきます。そう思うと、今の生活は寂しいけれど、仕事から帰ったあとは自由気ままに過ごしている私が、誰かと一緒に生活できるのか不安もあります。
回答
誰もが、気持ちのよいコミュニケーションをしたいと思っています。よりよい人間関係をもちたいと望んでいます。自分の気持ちや考えを分かってもらいたいと切望して生きています。その一方、多くの人は、いつの間にか自己表現を控えたり、しすぎたりして、自己表現に躓いていることも確かです。ライン、フェイスブックなどのコミュニケーションや女子会の集まりは、日頃希薄になりがちな人間関係を埋めてくれるように感じますよね。しかし、それらのつながり方はともすると表面的になりがちです。女子会ではお酒を飲んでわっと笑って発散して、盛り上がりはありますが、本当に自分がどうしたいのか表現しにくい事もあります。それは相手も自分も傷つけたくないという気持ちがあるからかもしれません。それは楽で良いようにも思いますが、お互いに心の通い合うような信頼関係を築くことは難しいかもしれません。あなたは結婚するべきか、結婚しなくても良いのかということを考え、不安に思っていますが、それよりも先に人との関わり方を、表面的な関係から、もっと深い関係へと努力してみてはいかがでしょうか?コミュニケーションが出来るとお互いの関係性も深まり、更に深く知り合いたいという欲求も生まれてきます。それはお互いの意見を出し合って、譲ったり、譲られたりしながら、双方にとって納得のいく結論を出そうとする関係です。私達は、心の通じる人や大切な人には、無意識のうちに尽くせるし、それを犠牲や我慢だと感じません。そして結婚は、性も異なり、育った環境も異なる者同士が、互いに協力し合い、子どもを産み育て、喜びや痛みを分かち合いながら一つの家族関係を築いていくものです。家族関係は、交友関係とは違う、愛の関係なのです。本音で語り合わないと一緒にいたいという思いは生まれにくいものです。
質問 「やる気がしない」
40代後半 主婦 名古屋在住
結婚して22年です。子供たちが就職をして今は夫と二人暮らしです。昨年まで勤めていたパートを辞めて今は専業主婦です。 子育てが終わり、ゆっくりできると楽しみにしていたのですが、仕事を辞めてから何もしたくなくなってきたのです。家事も余りやる気がなくなり、生活に張り合いがなく、どうにかなるのではないかと心配しています。
回答
子供達が巣立ち、夫は仕事に出てゆくし、ご自分はお仕事に行くこともなくなり、家事にも「遣り甲斐」を見出せなくなっていらっしゃるのでしょうか。何もしたくないときは、何もしなくてもいいのです。何もしないという事に罪悪感を持たないようにしましょう。皆がしているからといって、したくもないのにしたり、無理に人に合わせる必要はありません。「00しなければならない」「00するべき」から「00したい」生き方へのギアチェンジする時かもしれません。ジャンプするときは一旦屈みます
何もしたくないときは、これからあなたが何かをするための準備期間だと思って、焦らないようにしましょう。私たちは人間である前に、生物なのです。地に住む生き物は一定のリズム(体内時計)をもって生きています。
朝日が昇ると起き(夜勤・交代制勤務の方はごめんさない)夕日が沈むと休むというのがこのリズムです。ですから、何もしないからと言って、怠惰に任せて昼過ぎまで寝ていたり、朝まで起きていたりするのは止めましょう。これが体内時計を乱す引き金になるのです。そのようなリズムで生活することで、心の声を聴くチャンスをうしなってしまうのです。
そして、「今最低限自分がしないといけない事」「自分を必要としてくれている仕事」に心を込めてしてみましょう。台所で食器を洗うときには、一枚の皿を丁寧に洗うようにしましょう。そして、嫌になったら無理に洗わないようにすることです。家事が楽しい、そういう生き方が出来たらいいですね。「したくないこと」を無理してやっていると、「したい」気持ちが失せてしまいます。そして、最低限、自分を必要としてくれる仕事(ご主人やお子さん、友人の為に出来ることをして差し上げる)を行い、あとの時間の空白を怖がらず、オフにしてみましょう。
自分の気持ちを無理して奮い立たせようと必死になると、かえって自分の気持ちを充実させることが出来ません。
何もしたくないときは、自分のリズムを乱さないように何もしないことを怖れずに過ごしましょう。心の深い所から「00したい」気持ちが出てくることを期待しながら。「したいことをする」と心が生まれます。するといい巡り合わせが来るものです。
質問 モラル・ハラスメント(精神的暴力)的な人
以前勤めていた会社での事が急に思い出されて涙が止まらなくなりました。
私は高校を卒業後、税理事務所の経理として1年半働きました。
私なりに一生懸命にやったのですが、仕事の量をこなせず、ほぼ毎日のように怒鳴られていました。
帰リ道ではいつも泣いていて、死にたいと思ったほどでした。
昨年その事務所を辞め、今は別の会社に就職しました。
ところが先週、仕事の帰リに、なぜか急に前の事務所での事を思い出し、ぼろぼろ泣いてしまうようになリました。心の傷は癒やされたと思っていたのに、なぜまた、あの頃の辛い思い出が頭に浮かんでくるようになったのでしょうか。この心の傷にどう対処すればいいのでしょうか?
20代 会社員女性 独身 東京在住
回答
モラル・ハラスメント(精神的暴力)的な人には、こういう上司のタイプがよく見られます。
いかにこちらがダメな人間であるかをネチネチとことあるごとに言ってくる人たちです。
そんな中、死にたくなる程よく我慢されてこられたと思います。
これが家庭内で起これば立派な虐待でありDVです。こういう体験を何年にも積み重ねたら、心が病んでしまいます。
DVの加害者の人たちは、「相手を自分の支配下に置かないと安心できない」人達です。
部下であろうと、妻子であろうと本来人間は対等であり、それが人権なのです。
ところが、それを認めることができず、常に自分の支配下に置かないと安心できないのです。
「攻撃」してくる人というのは、自信がない、不安なものに耐えられない、何か癒されていない問題を抱えているという人であったり、常に周りを支配する事で安全を確保しようとしている人なのです。
そういうタイプの人は、自分を守るために部下に「レッテル貼り」「思い込み」を持ちやすいものです。
いったん「この部下は使えない」という「思い込み」を持つと、何を言おうと、たとえ、部下が一生懸命に仕事をしても、「仕事に時間をかけて、できない奴」と「決めつけ」てしまいがちです。それを考えるとあなたが辞めたのは正解でした。
ではなぜ、今頃になって嫌な事を思い出したのでしょう?
そういう上司の事がわかっていなかったのかもしれませんね。
これからは、痛めつけられた過去に、また痛めつけられない事が大事です
その為には、例えば、「あの頃に比べると今は何て幸せなんだ」
「私はあの上司を見限ってやったんだ」と考えて、一人でほくそ笑んでみてはいかがでしょうか?
辛い事、悲しい事、楽しい事、傷つけられたり教えられたり。生きるってそういう事じゃないですか。
辛さをしのぐ事でいつのまにか実力がついて、やがて辛い過去も懐かしい思い出になるでしょう。
質問 「やらなきゃいけない事が出来ない」
私は受験生なので勉強しなきゃいけないと分かっているのに出来ません。
ただの甘えや怠けているだけかもしれませんが、やろうと思うとゲームをしたり、ネットを見たりしてしまいます。
元々、自分に甘く逃げ道をすぐに用意してしまったり、今まで一つの事を最後まで取り組んできた覚えがありません。そんな自分が嫌でたまらないです分かってるのに改善できない自分に嫌気がさして泣いてしまいます。
直したいのですが、どうしたらいいのかわかりません。
頭では分かっていても実行出来ない性質を治すことはできますか?
高校3年 香川県在住
回答
「したくないこと」は誰でもやりたくないものです。
我々の日常生活では、表面の心と深い心との歩調がピッタリと合っている事はむしろ少なく これが、幸せになる事をはばんでいるのです。
つまり、「己に背くもの」を抱えて生きているといえます。
これ以上食べたらいけないと思った時にストップできない、学校に行きたいのに行けない、勉強しないといけないと分っているのにゲームをしてしまう。
自分の利益になる事がどうして自分の意思で出来ないのでしょうか?
何故人は自分の思い通り行動できないのでしょうか?
分かっちゃいるけど止められない行動!
その大きな理由は、人間は自分の意識できている考えだけで行動している訳ではなく、「無意識」の影響によって左右されている事が多いからなのです。
意識している領域は海面から出ている氷山の一部分で、残りの大部分は海面下の領域、つまり無意識なのです。
自分の思う通りに行動出来ないのは、無意識がそれを妨げているからなのです。
カウンセリングでは、相談者が自分の気持をカウンセラーに聴いてもらっているうちに、今まで意識していなかった無意識が表現されてきて、自分自身や世界の見え方が変わる傾向があります。その無意識からの声を聴く事によって、意識だけでなく無意識も変化してくのです。
ではあなたの場合どうすればいいかというと「したいのになかなか取り掛かれない」という言葉を「やりたくないから取り掛からない」に、「勉強ができない」のではなく、「やりたくない、やろうとしない」という言葉に書き換えてみてください。次に
「したくない」「やりたくない」という気持ちをじっくり聴いてあげ、「いままでしたくてしてきたの?」「いやいやしてきたんじゃないの?」と聞くのもいいでしょう。
最後に、「どうなりたいの?」「なにをしたいの?」「大学でどんな事を勉強はしたいの?」「将来何をしたいの?」と自分の心に問いかけてみて下さい。そこから何かが見えてきますよ。
質問 「同じ夢を何度も見る」
同じ夢を何度も見るので戸惑っています。夢の内容をお伝えします。「母と私は草原に来ていて、母は姉がいる向こうの山へ連れて行って欲しいと言います。そしてその草原で母は死んでしまうのです。私は『お母さん、お母さん』と泣きながら目が覚めたのです。」
この夢を最近、何度も見るのです。
私の母は40歳過ぎに病気になり、入退院を繰り返していました。当時高校生だった私は、母が死んでしまうんじゃないかと心配していました。あれから20年、今は元気に過ごしています。姉は念願かなって税理士になり、数年後には自分で事務所を開設すると活躍しています。昔からやりたいことをして思うように生きてきている人です。私は、バイトをしながら母と同居しています。
亡き父は本家の跡取りで、母は嫁いで以来、嫁姑、親族との関係で苦労してきました。
母は「私もお姉ちゃんみたいに生きれたらどんなによかったか」と最近よく話します。
病院での健康診断では母に異常がありませんでしたが母が死ぬ夢を何度も見るので、何か起こるのではないかと心配です。 東京在住 女性 独身 母と同居
回答
夢はあなたからあなたへの手紙、つまり、あなたの無意識からのメッセージです悪い夢はありません。
夢はいつも貴方を守ってくれ、人生の指針が得られます。
夢の手紙を受け取る事はあなた自身の日常生活に役立つのです。
今回あなたは、何度も同じ夢を見るという事ですが、なぜその事を夢にまで見るのかを考えましょう。
余程、心に掛かっているからです。
まず、「夢にはそれを夢にまで見る動機がある」と言う事が夢分析では大切な事なんです。
ここで夢の理解の仕方を紹介します。
「夢は開封されていない手紙のようなものである」しかし、夢は見るだけでも価値がある。
① 夢の主体は夢見者である。
② なぜそのことを夢にまで見るのかを考える。
③ 夢と現実の差を考える。
④ 開封して入って、中身を見るともっと役に立つことがある。
実際のお母さんは亡くなっていらっしゃらないのですから、こういう夢を「母親殺し」の夢と言います。実際の母親殺しと違って、悪い事ではありません。
あなたはお母さんをおねえさんの所へ連れて行ってあげたかったのですから、お母さんのしたかったことをさせてあげたかったのです。お母さんがお姉さんのように「思うような生き方」をするには、生まれ変わるくらいのことをしないと出来ないものなのです。
あなたがお母さんを死なせたことで自分を責めていらっしゃいますが、あなた自身がお母さんと同じような課題をもっていらっしゃる
自分の気持ちにありのままに行きなさいよという無意識からのメッセージです。
質問 「買い物依存症」
20歳を過ぎた辺りから買い物をしたいという欲求が強くなってきました。
休みの日毎にデパートなどに行って服などを買ってしまうのですが、本当に気に入ったものだけは着て、後のものは着ないでそのまま部屋に放置してしまいます。
買う事で満足感が得られるので買った物に対しては興味がわかないのです。
靴も今年に入って10足くらい買ってしまったのですが、その内の1足も履かないで部屋の中に置いてあります。
鞄も4つ買ったのですが、同じく部屋に置いたままです。
着ない服が部屋に溢れていてタンスにも入りきらない状態です。
私にとってはストレスを発散する為の行為なので、買い物をしないなんてとても考えられません。でも買い物をしてお金を払った時はすっきりするのですが、帰宅途中で、「また買っちゃった」と後悔してしまいます。
ただのストレス発散の為に買い物をしていると思っていたのですが、もしかしたら買い物依存症なのかと思い始め不安になります。
女性 会社員 24歳 独身
回答
依存症になる背景には、その人の実生活が色濃く反映されます。
現実が充実しているときは、依存症にはなりません。生活に倦んでいるとき、夢がなくなっているとき、人間関係がうまくいっていないとき、孤独で支えてくれる人がないときなどは、依存症になることが多くなります。
人間誰しもストレス状態におかれることがありますが、この場合、友だちや配偶者、親や子ども、などに話ができますと、ストレスは解消されます。
飲みすぎ、食べすぎ、たばこの吸いすぎで、胃潰瘍になる方がいます。
このケースは、自分のストレスを自分の身体に依存して解消しようとしているのです。
自分の身にさえ依存できないとなると、人間は物に依存します。
買い物依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症、アルコール依存症などは、物への依存症です。
人依存からわが身依存、物依存となるにしたがって、依存症は改善が難しくなります。
物依存は自分一人でできますから簡単なのです。
人間関係が難しかったり、嫌だったりするから物依存になるといってもいいでしょう。
物依存の人は元来人間関係が苦手で、対人不安怖症や人間不信になっているケースが多いのです。
苦しみから逃れるために買い物にのめりこむと、いっそう苦しみにはまっていきます。
それが依存症の症状です。買い物をして「スッキリする」から止められなくなるのです。
依存症から立ち直るには、自分をサポートしてくれる人間関係が必要です。
カウンセリングを受けることで自分が依存することの真の理由に気づくようになります。
人生を大きく変えることができます。
質問 「過剰適応症」
母は、私が子供の頃から過干渉で、それに反発すると怒られることが多かったので、枠をはみ出さないようにしてきました。
母が気に入らないことはしないようにしてきました。人に対しても相手が嫌がるようなことは言わない用意して、極力相手に合わせるようにしてきました。
就職した最初の会社は5年間働いていました。業務が人と余り接することがなく、単純な作業だったので仕事は快適だったのですが、上司や同僚からいじめられることが多くなったのです。私にはどうして嫌われるのか理由が分からなかったのですが、心身ともに不調になり、泣く泣く退職しました。今の会社には3年になりますが、ここでも人に合わせて仕事をしているのですが、上司や同僚から「変な人」扱いをされています。
私は自分自身を否定してでも、相手がよければそれでいいと思っているのに、どうしてこうなってしまうのでしょうか。母の影響が原因というのは社会に出てからわかるようになったのですが、どうして嫌われるのか、これからどうしたらいいのか教えてください。
京都在住 27歳 女性 独身 両親と同居
回答
相手に合わせて必死にお仕事をされてこられたのに、上司や同僚からいじめられながらよく5年間もお仕事をされてこられたと心が痛みます。
あなたは、とても優しい性格でいらっしゃるんだなあと思います。こんなに相手に合わせて、自分を殺して生きているのにどうして人から嫌われるのかというご質問かと思います。
私たちは人間社会に生きているので、家庭や職場でのルールや文化のようなものがあります。ですのでどうしても、自分の捉え方や感じ方が多少合わなくても適応していく必要があります。ところが相手に合わせ過ぎてしまうと、自分が死んでしまうことになります。これを「過剰適応」といいます。
「過剰適応」のタイプの人は、自分を抑圧して、相手に合わせ過ぎてしまうのです。
最初は愛想のいい人と思われるのですが、長く一緒に仕事をしているうちに、当人は相手に合わせて我慢しているだけですが、周囲の人からすると、「本心とは違う」「欺瞞」つまり「うそつき」にみえてしまうのです。
でも当人には全くそういうつもりはないので「訳が分からない」のです。
ではどうすればいいのか?ということですが、一時期でも結構ですのでカウンセリングを継続して受けられることをお勧めします。人は他者から傾聴してもらう事で、自分自身の傾聴ができるようになるのです。人に合わせる自分から、自分の本心に合わせる生き方が出来るようになってきます。
急激に変わることを期待せず、玉ねぎの薄皮を剥ぐように徐々に変化することが大事だと思います。
質問 「対人不安」
私は人前で何かやろうとすると、どんなに練習しても、動悸が異常な程に激しくなり、手、声がとても震えます。
克服しようと思い、委員会や部活のトップになってみたりしてみました。
しかし、いつになっても治りません。寧ろ悪化しているように感じます。
自己紹介だけでも動悸が激しくなります。
その時は、失敗してしまったらどうしようという感情よりも、何故こんなに緊張してるのか分からないという感じです。
人と2人で話す時は大丈夫なのですが、何か報告や相談となると緊張します。
自分の中に、自信が無い弱い自分がいます。
まだ親や学校の心理カウンセラーには話していません。「なにそれ」と笑われる気がして怖いです。
親は私がお腹痛くて入院寸前だった時も、不安症で悩んでいる時も、「そんな事で病院に行く必要はない」と言って連れて行ってくれませんでした。
誰からも理解を得られず、1人真剣に悩んでいます。どうしたら治るでしょうか。アドバイスを下さい。
大阪市在住 18歳 女性 高校生
回答
あなたは真摯に人生に取りくんでいると思います。
人は「生きたい」という欲望ゆえに悩むのです。不安症というのは、「とらわれやすい特徴」があるというだけです。
あなたは、「この不安さえなければ」と考えてませんか。
あなたが不安を取り除くためにしている事がかえって深刻にしてしまいまっているようです。悪循環の始まりです。
人は皆悩むものと思い、悩みと共に生きる事を考えてみませんか。
まず、自分の注意を外に向ける事、生活を見なおす事、自分自身を違った見方で見つめなおしてみる事など身近で出来る事から初めてみましょう。
何かに少しでも取りくみ始めたら、何らかの心の変化を感じとれます。
これが「悩みを持ち乍ら生きる事」です。
不安は辛いので避けます。
しかし不安になる事に不安となり、その事だけに注意が向いてしまい、不安にならない事があなたの人生の価値になってしまいます。
これは気分本位です。つまり、不安があるかないかにこだわる態度です。
少しでも不安になれば、がっかりし、不安が軽くなれば喜びます。
そのため気分ばかりに注意をはらい、現実の生活がおろそかになります。
不安感は変化します。
この体験が不安へのとらわれからの脱却につながります。
次に、生活での実践、行動を整えてゆけば、自然と不安は変化していきます。
不安にとらわれているあなたは、自分の生かし方を知らなかったにすぎません。
自分の不安症をうまく実際の生活に使う事を工夫してください。
「今を生きる」という事は、悩みと共に生き、自分のしたい事を発見し、自分の性格を生かす事です。
今が充実し、生き生きとした時、今までのように、それに振りまわされ、不安が不安をよぶという状態からは脱出しているでしょう。