淀 城

 所 在 地   京都市伏見区淀本町  別 名   浮城
 遺 構   石垣・堀  形 式   平城
 築 城 者   松平定綱  築 城 年   寛永2年(1625)
 歴  史  元和9年(1623)、徳川秀忠は、伏見城の破却と、淀城の築城を命じ、松平(久松)定綱が、遠江掛川より入封して、築城する。
寛永2年(1625)、築城がほぼ完成する。
寛永10年(1633)、永井尚政が、下総古河より入封する。
寛文9年(1669)、石川憲之が、伊勢亀山より入封する。
正徳元年(1711)、松平(戸田)光熙が、美濃加納より入封する。
享保2年(1717)、松平(大給)乗邑が、伊勢亀山より入封する。
享保8年(1723)、稲葉正知が、下総佐倉より入封する。以後、稲葉氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 平(久松)氏(3.5万石)、永井氏2代(10万石)、石川氏3代(6万石)、松平(戸田)氏2代(6万石)、松平(大給)氏(6万石)、稲葉氏12代(10.2万石)


現在、城跡は、本丸部分が淀城跡公園として整備されており、天守台の石垣と、本丸石垣の一部、内掘の一部が残っている。


かつて豊臣の淀殿が住んだ淀古城は、淀川を挟んで北方約500メートルの地点にあると想定されている。
築城には伏見城の石材が流用され、伏見城の天守を移す予定で天守台が築かれたが、二条城の天守よりも大きいので、伏見城の天守を二条城に移し、一回り小さい二条城の天守が淀城に移された。このため、天守台と天守の大きさが合わず、天守台の四隅に櫓を設けて多聞櫓で繋ぎ、この内側に天守を置くという、特殊な構造になったという。
縄張りは、本丸と二の丸を横に連結し、これらを内掘を介して三の丸と二の丸で囲み、これをさらに外堀を介して外廓で囲むようにした輪郭式である。


天守台
本丸石垣と内掘 現地案内板より


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