加納城

 所 在 地   岐阜県岐阜市加納  別 名   −
 遺 構   本丸石垣  形 式   平城
 築 城 者   本多忠勝  築 城 年   慶長6年(1601)
 歴 史  慶長6年(1601)、岐阜城を廃して、加納城が築かれた。奥平昌信が上野小幡より、10万石で入封する。奥平昌信は、天正3年(1575)の長篠の戦いで、長篠城に籠城して武田の軍勢を防いだ武将。
慶長7年(1602)、松平(菅沼)忠政が、実父の奥平昌信から封を譲られる。
寛永9年(1632)、大久保忠職が武蔵私市より入封する。
寛永16年(1639)、松平(戸田)光重が播磨明石より入封する。
正徳元年(1711)、安藤信友が備中松山より入封する。享保13年(1728)、天守代用の御三階が、焼失する。
宝暦6年(1756)、永井直陳が武蔵岩槻より、3.2万石で入封する。以後、明治維新まで永井氏が続く。
歴 代 城 主 奥平氏(10万石)・菅沼氏(10万石)・大久保氏(5万石)・戸田氏(7万石)・安藤氏(6.5万石)永井氏6代(3.2万石)


 本丸

本丸跡と石垣が加納公園として残る。

石垣は、野面積み


ヶ原合戦に勝利した徳川家康は、岐阜城を廃して、中仙道に面した加納の地に新しい城を築いた。岐阜城を危険視したという。
普請奉行には本多忠勝が命じられ、東山・北陸の大名が動員された。このとき、岐阜城の資材が大量に移された。岐阜城天守も移築され、望楼型層塔型に改造して天守代理の御三階とした。



<アクセス>
加納城はJR岐阜駅の南方約1kmにある。国道167号線の「加納城南通2東」の信号から東へ250mの交差点を北に50mで、加納城跡がある加納公園に着く。公園の南側入り口に駐車場がある。(2006.04.07)

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