岐阜城

 所 在 地   岐阜県岐阜市明神洞  別 名   稲葉山城
 遺 構   堀・石垣/天守(再建)  形 式   山城
 築 城 者   織田信長  築 城 年   永禄10年(1567)
 歴 史  鎌倉時代(建仁年間)に、二階堂氏が築城したことに始まる。
応永年間(1400年頃)に、守護土岐氏の守護代である斎藤氏が、城を修築する。
天文18年(1549)、 守護代の斎藤家を乗っ取った斎藤道三が、稲葉山城を大改築し、井ノ口城下を整備する。以後、斎藤義龍、斎藤龍興が継ぎ、斎藤龍興は斎藤道三を敗死させる。
永禄10年(1567)、 織田信長は、城を攻め落として、斎藤龍興を追放する。信長は、岐阜城と改め、小牧から本拠を移し、岐阜城下を経営した。
天正4年(1576)、信長は安土城に移り、長子の織田信忠が城主となる。
天正10年(1582)、信忠は、本能寺の変で二条城にて戦死する。清州会議のあと、三男神戸(織田)信孝が伊勢神戸城から移る。
天正11年(1583)、 信孝は、柴田勝家とともに羽柴秀吉と対立し、秀吉に攻められ開城する。
天正13年(1585)、池田輝政が岐阜城に入城する。
天正19年(1591)、豊臣秀勝(秀吉の甥)が城主となるが、秀勝は翌年、朝鮮で病死する。
文禄元年(1592)、織田信秀(信長の孫、三法師)が、城主となる。
慶長5年(1600)、信秀は、関が原の戦いに際して西軍につき、東軍に攻められて開城する。
慶長6年(1601)、徳川家康の命により、岐阜城は廃城となる。城は破却され、資材は加納城に移された。
歴 代 城 主 二階堂氏、斎藤氏・織田氏・池田氏・豊臣氏・織田氏


 天守

望楼型天守
三層四階
高さ17.7m


昭和31年再建(模擬) コンクリート造り


海抜336mの金華山山頂から、麓にかけて、築城された壮大な山城である。
井ノ口城と呼ばれていたが、織田信長によって、中国の岐山と曲阜にちなんで岐阜城と改名される。


                     織田信長居館跡
金華山の西麓に建設された、織田信長の居館の跡とされる。
永禄12年(1569)に訪れた宣教師ルイス・フロイスの記述によると、四階建で、一階は二十畳の座敷が十五、六もある広さであり、四階からは城下が一望できたという。

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