西尾城
所 在 地 | 愛知県西尾市錦城町 | 別 名 | 西条城 錦丘城 鶴城 |
遺 構 | 曲輪 石垣 土塁 復元櫓 復元門 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 足利義氏 | 築 城 年 | 承久年間(1219-22) |
歴 史 | 西尾城の始まりは、承久3年(1921)に足利義氏が三河守護に任ぜられたとき、守護代の吉良氏に西条城と東条城を築かせたときに遡るとされる。西条城が西尾城の前身である。 永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間で敗死し、松平元康(徳川家康)が三河を支配すると、西尾城には牧野氏や酒井氏が入った。 徳川家康が関東へ移封したあと、文禄4年(1595)に田中吉政が西尾城主となり、田中氏のときに城が拡大され、城域が確定した。 慶長6年(1601)、田中吉政が筑後・柳川へ移ったあと、譜代の本多康俊が入封した。以後、譜代大名が頻繁に入れ替わる。元和3年(1617)に松平(大給)成重が入封、元和7年(1621)に本多俊次が入封、寛永15年(1638)に太田資宗が入封、正保2年(1645)に井伊直好が入封、万治2年(1659)に増山正利が入封、寛文3年(1663)に土井利長が入封、延享4年(1747)に三浦義理が入封する。 明和元年(1764)に松平(大給)乗佑が入封し、以後大給松平氏5代で明治維新まで続く。 |
歴 代 城 主 | 吉良氏、牧野氏、酒井氏2代、田中氏、本多氏(2万石)、大給松平氏(2万石)、本多氏(3.5万石)、太田氏(3.5万石)、井伊氏(3.5万石)、増山氏2代(2万石)、土井氏4代(2.3万石)、三浦氏2代(2.3万石)、大給松平氏5代(6万石) |
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姫丸から本丸に入る表門跡の石垣 表門は楼門式であった |
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現地案内板の城地図 西尾城は、矢作川とその支流に囲まれた比高10m程の段丘に築かれた平城である。 本丸の北側に二之丸を、東側に姫丸を、それぞれ土橋でつないで配置し、二之丸の北側に北之丸を、姫丸の東側に東丸を配置し、さらに北之丸と東丸の北側に三之丸を配置する。 天守は本丸ではなく、二之丸に上げられていた。田中吉政が本丸を本丸から二之丸に移したといわれる。その理由は不明。また御殿も二之丸にあった。 |
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本丸の丑寅櫓 古絵図と発掘調査に基づいて復元されたもの |
鍮石門 二之丸御殿の前にあった門を復元したもの |
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本丸跡 御劔八幡宮の境内になっている |
本丸と二の丸間の内堀 |
<アクセス> 西尾城址は西尾市歴史公園となっており、名鉄西尾駅の西約1km。県道383号線の西尾小前交差点の次の交差点を北へ折れてすぐ。県道に面して公園の無料駐車場がある。隣接して無料の西尾市資料館があり、話好きの係りの人から、西尾市の行事を詳しく説明してもらえる。(2011.06.05) |