長篠城

所 在 地  愛知県新城市長篠 別 名  末広城 扇城
遺 構  曲輪 土塁 石垣 形 式  平山城
築 城 者  菅沼元成 築 城 年  永正5年(1508)
歴 史 長篠城は、長塩菅沼氏の居城として、菅沼元成によって永承5年(1506)に築城された。菅沼氏は、今川氏、次いで徳川氏に属したが、武田氏の圧力に屈して武田氏についた。
天正元年(1573)に西上途中の武田信玄が没すると、徳川家康は長篠城を攻めて落城させた。以後、長篠城は対武田への最前線基地となり、奥平信昌を入れて改修を施した。
天正3年(1575)、武田勝頼は2万5千の兵で、5百人が立て籠もる長篠城を攻め、長篠の戦いが起こる。武田軍は、徳川家康・織田信長連合軍との設楽が原の戦いに敗れ、撤退した。
天正4年(1575)、前年の籠城戦で長篠城が大きく損壊したので、奥平信昌は新城城を築いて移り、長篠城は廃城となった。
歴 代 城 主 菅沼氏 奥平氏


長篠城の全景
左:寒狭川(現・豊川) 右:宇連川(現・三輪川)


本丸の北側の内堀 往時は水が引き入れられていた。 本丸の北側の土塁


本丸と北西の虎口 弾正曲輪 民家の敷地になっている


現地案内板の縄張図

長篠城は、宇連川と寒狭川の合流地点に嘴状に突き出した段丘上に立地する。南東面と北西面はこれらの川の断崖となっている。
本丸の南東側に一段低い野牛曲輪があるが、現在は本丸と野牛曲輪の間にJR飯田線が通っている。
本丸の西側に矢沢(現・碁石川)を隔てて弾正曲輪があるが、現在は民家となっている。


<アクセス>
東名高速豊川ICから国道151号線を約19km。国道151号線の案内板のある三叉路を南に入ってすぐ。長篠城址史跡保存館の広い駐車場を利用することができる。(2011.07.10)

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