田峯城

所 在 地  愛知県北設楽郡設楽町田峯字城 別 名  蛇頭城
遺 構  曲輪 土塁 復元門・屋敷 形 式  山城(標高378m)
築 城 者  菅沼定信 築 城 年  文明2年(1470)
歴 史 田峯城は、田峰菅沼氏の居城として、菅沼定信によって文明2年(1470)に築城された。
天正3年(1575)、菅沼定忠のとき、武田勝頼に従って長篠の戦いに加わり、大敗した。戦のあと、留守居の菅沼定直により田峯城への入城を拒否され、信州に逃走した。翌天正4年(1576)、菅沼定忠は田峯城を急襲して奪回した。
天正10年(1582)、織田信長軍は武田領に侵攻して武田氏を滅ぼした。このとき、菅沼定忠は信濃飯田で謀殺された。
田峯城は、新城城の奥平信昌の持城になったが、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に奥平信昌も従い、田峯城は廃城になった。
歴 代 城 主 菅沼氏 奥平氏


本丸大手門
様式:棟門 屋根:切妻板葺
主殿(御殿)
様式:入母屋板葺、書院造、杮葺唐破風付、


物見台


現地案内板の縄張地図

山頂に本丸を置き、北西側斜面と東側斜面に複数の曲輪を配置する。

本丸跡には、門、御殿、物見台、厩を復元して、山城を再現している。
主殿が書院造で復元されているが、地方小豪族の山城の主殿にしては、立派に過ぎるようだ。


<アクセス>
国道257号線の田峯交差点(三叉路の信号)を南に折れ、300mほど進むと、段嶺郵便局の前に三叉路があるので、西側の坂道に入る。この狭い坂道を上り、田峯城の案内板がある三叉路を左折すると、まもなく田峯城の駐車場に着く。本丸跡に建築物が復元されているが、本丸跡への入場は有料。(2011.07.10)

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