明石城

 所 在 地   兵庫県明石市大明石町  別 名   鶴の城 喜春城 錦江城
 遺 構   櫓、石垣、堀  形 式   平山城
 築 城 者   小笠原忠真  築 城 年   元和5年(1619)
歴  史 元和3年(1617)、小笠原忠真が、信濃松本から明石の船上城に入る。
元和5年(1679)、小笠原忠真は、明石城の築城を開始する。城は年内に完成する。
寛永9年(1632)、松平(戸田)康直が、信濃松本より入封する。
寛永16年(1639)、大久保忠職が、美濃加納より入封する。
慶安2年(1649)、松平(藤井)忠国が、丹波篠山より入封する。
延宝7年(1679)、本多政利が、大和国内より入封する。
天和2年(1682)、松平直明が、越前大野より入封する。以後、松平氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 小笠原氏1代(10万石)、松平(戸田)氏2代(7万石)、大久保氏1代(7万石)、松平(藤井)氏2代(7万石)、本多氏1代(6万石)、松平氏(6万石→8万石)

 (左) 坤櫓 (右) 巽櫓
  (いずれも国重要文化財)

平成7年の大震災で、三重の隅櫓である巽櫓と坤櫓が石垣から大きくずれたので、解体して大規模修復がなされた。
この際に、櫓間の土塀を復元して、三重櫓を繋ぐ形になった。


坤櫓 巽櫓


 明石城は、城主小笠原忠真の舅で姫路城主の本多忠政が築城の実質的な指揮をとり、幕府が築いた城である。
姫路城の屋根葺きの手法である、屋根瓦を繋ぐ目地に白漆喰を用いることにより、白亜総塗り込めの白壁とあいまって全体が純白に見える。
天守台は造られたが、天守は築かれなかった。 


大手門跡 天守台 五層天守規模だが、天守は建てられなかった
本丸跡 二の丸の高石垣


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