古河城

 所 在 地   茨城県古河市中央町  別 名   
 遺 構   なし  形 式   平城
 築 城 者   足利成氏  築 城 年   康正元年(1455)
 歴 史  古河城は、五代鎌倉公方・足利成氏が築城したことに始まる。享徳の乱で鎌倉を放棄した足利成氏は、古河に移って本拠とし、以後古河公方と呼ばれる。以来、古河城は130年間、古河公方の居城となる。
五代古河公方・足利義氏のとき、後北条氏の支配下に入った。そして後北条氏が滅亡した後、天正18年(1590)に徳川家康が関東移封されるに際して、小笠原秀正が入部した。このとき古河城は近世の城として、改修・拡張された。
慶長6年(1601) 、小笠原秀正は信濃飯田へ転封し、松平(戸田)忠政が、上野白井より入封する。以後、短期間で城主が入れ替わる。
慶長17年(1612)、小笠原信之が武蔵本庄より入封する。元和5年(1619)、奥平忠昌が下野宇都宮より入封する。元和8年(1622)、永井直勝が常陸笠間より入封する。寛永10年(1633)、土井利勝が下総佐倉より入封する。天和元年(1681)、堀田正俊が上野安中より入封する。貞享2年(1685)、松平(藤井)信之が大和郡山より入封する。元禄7年(1694)、松平(大河内)信輝が武蔵川越より入封する。正徳2年(1712)、本多忠良が三河刈谷より入封する。宝暦9年(1759)、松平(松井)康福が石見浜田より入封する。
宝暦12年(1762)、土井利里が肥前唐津より入封する。以後、土井氏が幕末まで在封する。
歴 代 城 主 足利氏5代、小笠原氏、松平(戸田)氏(2万石)、小笠原氏(2万石)、奥平氏(11万石)、永井氏(7.2万石)、土井氏(16万石)、堀田氏(9万石)、松平(藤井)氏(9万石)、松平(大河内)氏(7万石)、本多氏(5万石)、松平(松井)氏(5万石)、土井氏(7万石)


城跡は、渡良瀬川の河川敷と化している。原っぱが広がるだけである。渡良瀬川に架かる、国道354号線の三国橋と新三国橋の間の、左岸の河川敷一帯に、古河城の主要な曲輪があった。


古河城は、平城であるが、西が渡良瀬川、東と南が湿地帯で守られていた。土井利勝のときに大規模な修築が行なわれた。このときに本丸に天守があげられ、諏訪曲輪が設けられた。本丸を中心に、西に二の丸、東に東帯曲輪、北に三の丸、丸の内曲輪、観音寺曲輪、南に頼政曲輪、辰崎曲輪が配置されている。
現在、城跡は、渡良瀬川の改修工事によって河川敷となっており、遺構は残されていない。


諏訪曲輪のあった場所に建つ古河歴史博物館 渡邊崋山の肖像画(国宝)で知られる、家老・鷹見泉石の屋敷


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