結城城
所 在 地 | 茨城県結城市大字結城 | 別 名 | |
遺 構 | 土塁 堀 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 結城朝光 | 築 城 年 | 治承年間(1177-1180) |
歴 史 | 結城城は、結城朝光によって治承年間(1177-1180)に築城されたと伝えられるが、南北朝時代に築かれたとみられている。室町期には、結城氏は関東八家の一つに数えられた名門でえある。 永享12年(1440)、永享の乱の後に鎌倉公方の遺児を擁して室町幕府に反旗を翻し、翌年に結城城が落城するまで、幕府軍と戦い、世に言う結城合戦に名を馳せた。 文安4年(1447)には佐竹氏の庇護を受けて、結城氏は旧に復した。 |
天正18年(1590)の小田原の役に、結城氏は豊臣秀吉に属して所領を安堵され、秀吉の養子となっていた徳川家康の二男・秀康を養子に迎える。 慶長6年(1601)、結城秀康の越前への転出によって、結城城は一時、廃城となる。 元禄13年(1700)、水野勝長が能登西谷より入封し、元禄16年(1703)に加増されて結城城を再築城した。 慶応4年(1868)の戊辰戦役に際して、結城城は佐幕派により占拠され、次いで新政府軍に攻められて落城し、焼失した。 |
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歴 代 城 主 | 結城氏歴代、水野氏11代(1万石→1.8万石) |
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土塁の跡 | 本丸跡の結城城城址公園 |
結城氏の時代の中世の結城城の跡に、水野勝長によって再建されたが、規模は陣屋程度で、天守や櫓は造営されなかった。本丸、館、中城、東城、西館からなる。幕末の争乱で城は破壊された。 現在、本丸跡が結城城跡公園となり、他は住宅地や田畑になっている。土塁、空堀が一部のみ残存する。 |
<アクセス> 結城小学校と結城第一高校の間の県道を北東へ。橋を渡ってすぐを東へ右折すると、結城城跡公園。公園の南側に駐車場がある。(2009.11.02) |