飯田城

 所 在 地   長野県飯田市追手町  別 名   長姫城
 遺 構   曲輪門 井戸  形 式   平山城
 築 城 者   武田信玄  築 城 年   戦国時代
 歴 史  城の始まりは古く、鎌倉時代に小笠原氏の一族の坂西氏によって築かれたといわれる。実質的には、戦国時代に武田信玄が信濃・伊那谷の支配の拠点として築城したものであり、秋山信友を城主とした。
武田氏の滅亡後は、天正18年(1590)に毛利秀頼が入り、文禄2年(1593)には京極高知が入った。
慶長6年(1601)に京極高知が丹後宮津に移封されたあと、小笠原秀政が下総古河より入封し、城を修築する。
元和3年(1617)、脇坂安元が伊予大洲より入封し、外堀を築き、城下を整備する。
寛文12年(1672)、堀親昌が下野烏山より入封する。以後、堀氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 秋山氏、毛利氏(7万石→10万石)、京極氏(5万石)、小笠原氏(5万石)、脇坂氏2代(5.5万石)、堀氏12代(2万石)


             桜丸御門(赤門)
数少ない遺構の一つであり、宝暦4年(1754)に上棟された桜丸の御門。左脇に唐破風造りの番所が付設されている。


本丸跡は長姫神社境内となっている 桜丸御門の内側に残る石組みの井戸跡


飯田城は、武田信玄により築城されたものであり、天竜川の支流に挟まれた河岸段丘という、攻めにくい場所を選んで造られている。毛利秀頼、京極高知のときに、近世城郭の縄張りが完成された。
段丘に沿った連郭式に曲輪が形成されており、また段丘を横切るように空堀が設けられている。明治以降の取り壊しや、城内の開発によって、遺構は殆ど残っていない。


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