大洲城

所 在 地  愛媛県大洲市大洲 別 名  大津城 比志の城
遺 構  櫓(四基) 石垣 復元天守 堀  形 式  平山城
築 城 者  宇都宮豊房 築 城 年  元弘元年(1331)
歴 史 大洲城の始まりは、鎌倉時代末期の伊予守護・宇都宮豊房の時代とされる。宇都宮氏は八代豊綱のときに滅んだ。
天正13年(1585)の羽柴秀吉の四国平定の後、小早川景隆の支城、戸田勝隆の居城となり、文禄4年(1595)に宇和島の藤堂高虎の持城となる。大洲城は、藤堂高虎のときに、本格的な近世城郭として整備された。
慶長13年(1608)、藤堂高虎は伊勢・へ転封となり、脇坂安治が淡路・洲本から入った。脇坂氏のとき、大津城を大洲城へと改めた。
元和3年(1617)、安治の子の脇坂安元は信濃・飯田へ移り、伯耆・米子から加藤貞泰が入封した。以後、加藤氏が明治まで13代続く。
歴 代 城 主 宇都宮氏8代、戸田氏 藤堂氏 脇坂氏2代(5.3万石) 加藤氏13代(6万石)


大天守と、左・高欄櫓と、右・台所櫓


大洲城は、ひじ肱川が屈曲する地点の小山に本丸を置き、本丸の南から西を囲むように二の丸を配置し、さらに二の丸の南から西を三の丸が囲む、梯郭式の縄張りである。
現在、曲輪は本丸と二の丸の一部が残っている。二の丸や三の丸には堀があったが、堀は残存していない。櫓が4棟と倉庫が1棟現存する。


二の丸と、本丸石垣 天守は、大天守と、高欄櫓及び台所櫓をそれぞれ多聞櫓で接続した連結式である。大天守は四層四階建の木造であり、忠実に復元されたもの。


高欄櫓(国重要文化財) 台所櫓(国重要文化財)


三の丸南隅櫓(国重要文化財) 下台所(食糧庫、県指定有形文化財)


<アクセス>
JR伊予大洲駅の南西約1km。城址公園は大洲市民会館の裏手にある。
大洲市民会館前の駐車場(有料)を利用。

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                
次の頁に進む