宇和島城

所 在 地  愛媛県宇和島市丸之内1丁目 別 名  鶴島城 板島丸串城
遺 構  天守 蔵 門 石垣 曲輪 井戸 形 式  平山城
築 城 者  藤堂高虎 築 城 年  文禄4年(1595)
歴 史 宇和島城の起源ははっきりしないが、天文15年(1546)に家藤監物が板島丸串城に入ったというのが記録の始まりとされる。
本格的な城郭の築城は、宇和郡7万石に封ぜられた藤堂高虎が文禄4年(1595)に開始し、およそ6年をかけて総構を完成した。
慶長13年(1608)、藤堂高虎は今治へ転封となり、富田信高が伊勢から入封した。しかし慶長18年(1613)に富田氏は改易となり、幕府直轄地となった。
慶長19年(1614)、仙台藩主・伊達政宗の長男、伊達秀宗に宇和郡10万石が与えられ、翌元和元年(1615)に宇和島城に入城した。
寛文4年(1664)、二代藩主宗利のとき、幕府の許可を得て城の改築を開始し、天守は望楼式から層塔式に改修された。
歴 代 城 主 家藤氏、西園寺氏、持田氏、戸田氏、藤堂氏(7万石)、富田氏(12万石)、伊達氏8代(10万石)


宇和島城天守
現存天守12基の一つ
(国重要文化財)

三層三階、漆喰総塗籠め、独立式の層塔型天守

藤堂高虎が築いた天守は、高欄付きの望楼型であり、天守台を設けず、岩盤の上に直接建てられたといわれる。

高さ15.7mと小振りであるが、玄関の唐破風が印象的。


宇和島城は、海抜80mの城山に築かれた平山城であり、城域は不等辺五角形である。現在は宇和島市の中央部に位置しているが、かつては西辺と北辺の二辺が海に面しており、残りの三辺には水堀が廻らされていた。
現在、水堀は埋められて存在しない。また三の丸は市街地になっているが、本丸、二の丸、藤兵衛丸、井戸丸、長門丸、代右衛門丸、式部丸などの各曲輪は、石垣と共に保存されている。


井戸丸の石垣 野面積みである 藤兵衛丸に移築された山里倉庫。元は三の丸にあり、武器庫として利用された。現在は城山郷土館として使用されている。


本丸の下を囲む帯曲輪の石垣 二の丸、奥は本丸石垣


本丸 天守の内部(一階)


代右衛門丸の石垣 上り立ち門 搦め手口に設けられた薬医門

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                
次の頁に進む