津 城

 所 在 地   三重県津市丸之内  別 名   安濃津城
 遺 構   石垣・堀  形 式   平城
 築 城 者   織田信包  築 城 年   天正8年(1580)
 歴  史  永禄11年(1568)、織田信長は伊勢に侵入し、安濃津城の細野藤敦を攻め、陥落させた。翌永禄12年(1569)、弟の織田信包を安濃津城主とする。
天正8年(1580)、本格的hな築城が完成し、五層天守が建ったといわれる。このとき津城と改称される。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際の城主、富田信高は東軍に属し、毛利軍3万に攻められて落城するが、奮戦に対して2万石の加増を受ける。
慶長13年(1608)、藤堂高虎、伊予今治から入封する。幕末まで藤堂氏が在封する。
慶長16年(1611)、藤堂高虎、津城の大改修にかかる。寛文2年(1662)に西の丸を残して、全焼する。寛文10年(1672)に城が再建される。
歴 代 城 主 細野氏、織田氏、富田氏2代(3万石→5万石)、藤堂氏12代(22万石→32.2万石))

内堀
手前:西の丸跡石垣  奥:本丸跡石垣

津城は、細野氏、織田氏が築城、改築し、藤堂高虎によって完成された。
本丸の東西に小さい東の丸と西の丸が付属し、これを二の丸が込むという連廓・輪廓を併用した縄張りである。堀は本丸・東の丸・西の丸を囲む内堀と、二の丸を囲む外堀の二重。本丸には天守台があったが、天守はあげられず、本丸は隅櫓と多聞櫓で守られていた。
藤堂高虎は22万石で入封し、大坂夏の陣の戦功等で、32万石に加増された太守であるが、それに釣り合わないほどに、津城の規模は小さい。有事の際には防御の弱い平城の津城よりも、支城の伊賀上野城に籠ることを想定していたからとも、言われている。

本丸跡内
現在、城址の殆どは県庁など市街地となっており、本丸跡、西の丸跡、内堀の一部が公園として残されているだけである。

また本丸東鉄門の傍に、丑寅櫓を模した模擬櫓が再建されている。
模擬櫓 現地案内板より


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