伊賀上野城
所 在 地 | 三重県伊賀市丸の内 | 別 名 | 白鳳城 |
遺 構 | 堀・石垣/再建天守 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 筒井定次 | 築 城 年 | 天正13年(1585) |
歴 史 | 天正伊賀の乱(1581)の後、天正13年(1585)に筒井定次によって、築城された。 慶長13年(1608)、筒井定次は、乱行を理由に改易された。藤堂高虎、伊予今治から、22万石で津城主としてに入封する。 慶長16年(1611)、藤堂高虎は、大坂の豊臣氏に備えて上野城の改築を始める。 慶長17年(1612)、完成間近の天守が台風で崩壊する。以後、天守は再建されなかった。 大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後、築城は中止される。藤堂氏の居城は津城であり、伊賀上野城は完成のまま、城代を置いた。 |
歴 代 城 主 | 筒井氏(5万石)・藤堂氏歴代(22万石) |
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模擬天守 昭和10年、文化産業館として、木造で建築。 |
伊賀上野城は、大坂の豊臣氏に備えて、姫路城・彦根城と共に大坂城を囲むように築城されたものである。城域の南側はほぼ完成しているが、豊臣氏が滅亡した後、北側は放置されて未完成のままとなった。この城の見どころは、なんといっても、大坂城より見事といわれる高石垣。 |
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高石垣 | ||
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実測によると、水面下を含め、実高26メートル、法高29.、5メートル。反りが殆どなく、鋭い角度で立ち上がる打込ハギであり、完成域に達した石垣といわれる。 |