燧ケ城
所 在 地 | 福井県南条郡南越前町今庄 | 別 名 | |
遺 構 | 石垣 曲輪 堀切 | 形 式 | 山城(標高270m) |
築 城 者 | 木曽義仲 | 築 城 年 | 寿永2年(1183) |
歴 史 | 燧(ひうち)ケ城が歴史に登場するのは、平安末期の源平合戦。寿永2年(1183)、木曽義仲は平家の軍勢を迎え撃つため、愛宕山の山頂に燧ケ城を築いて立て籠もった。しかし平泉寺の長吏齋明の裏切りにより、燧ケ城は落城し、木曽義仲は敗走した。 室町初期の建武3年(1336)には、北朝方の今庄入道浄慶が燧ケ城に立て籠り、南朝方についた杣山城の瓜生保と対峙した。 戦国期、下間頼照らの越前一向一揆勢が燧ケ城に立て籠り、織田信長軍に抵抗した。落城後は、柴田勝家が支配した。 |
歴 代 城 主 | 木曽氏 今庄氏 下間氏 柴田氏 |
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二の丸の東の虎口と石垣 |
燧ケ城は、北国街道を見下ろす愛宕山の標高270m(比高150m)の山頂に築かれている。本丸を中心に東に二ノ丸、西に三の丸を配する縄張りである。規模は大きくないが、虎口や櫓台、土橋などに石垣が用いられており、防御性が高い。石垣は柴田勝家の時代のものであろうか。 |
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本丸の東の虎口 | 本丸の中央部 |
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本丸内の東側にある櫓台?の石垣 同じような石垣は本丸内の西側にもある |
本丸と三の丸の間の石垣 側面が石積みで補強されている |
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三の丸 | 本丸からの北側の眺望 眼下は今庄の集落 |
<アクセス> 北国街道(国道365号線)に面する今庄の町の、南西部の山裾にある新羅(しんら)神社が起点。新羅神社の本殿に向かって左側の「愛宕山登山路入口」から山に入る。山道を15分も歩くと、二の丸虎口の石垣に出会う。ハイキングコースとして整備されているので、迷うことはない。今庄の街中の道は狭く迷路のようになっており、車を置くスペースもない。JR今庄駅の西側駅前あるいは、JR今庄駅の東側の公共庁舎前の広い駐車場に車を置いて、歩くのが無難。(2011.10.09) |