杣山城

所 在 地  福井県南条郡南越前町阿久和 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 堀切 形 式  山城(標高492m)
築 城 者  瓜生氏 築 城 年  元亨元年(1321)頃 
歴 史 杣山(そまやま)城は、鎌倉末期の元亨(げんこう)元年(1321)頃、瓜生衡(ひとし)が越後から移り住んで築城したといわれる。
南北朝時代、瓜生氏は南朝方について足利軍と戦い、瓜生衡の子の瓜生保は、延元2年(1337)、新田義貞が籠る金ヶ崎城を救うために出兵し、戦死した。その後、杣山城に新田義貞が入り、南朝方の拠点となっていたが、暦応4年(1341)に落城した。
その後、杣山城には足利(斯波)高経が在城し、次いで、斯波氏の家臣で越前守護代を務めた甲斐氏が拠点とし、同じく守護代の朝倉氏と対峙した。文明6年(1474)、甲斐氏は朝倉氏に敗れ、杣山城は落城した。
朝倉氏の時代には、その家臣の河合氏が杣山城に在城したが、天正元年(1573)の織田信長の越前攻めで朝倉氏が滅び、杣山城は廃城となった。
歴 代 城 主 瓜生氏 新田氏 斯波氏 甲斐氏 河合氏


奥の山が杣山 最高所に本丸がある。
手前の草原に一の城戸口と居館があった。


標高492mの杣山の山頂に本丸を置き、その西・北・東の尾根に曲輪を配している。東西の領域は約1kmに及ぶ。西側の端部の平坦地に西御殿跡が、北側の端部の平坦地に東御殿跡がある。本丸から急峻な痩せ尾根を下った先の端部に犬戻り駒返し台地がある。尾根に沿って堀切は多用されているが、麓の居館跡を除いて山城に石垣はみられない。


本丸跡 西御殿跡と本丸の間の堀切と土橋
城域内の各所に堀切と土橋がある


西御殿跡 東御殿跡
戦時は麓の居館から、西御殿や東御殿に臨時の御殿を建てて立て籠もった


<アクセス>
北陸自動車道今庄インターから国道365号線に入り、北へ約2.5kmの信号を県道202号線へと東に折れる。高速道の下を潜ってから約400mで三叉路を右折(南方面)し、林道へ入る。林道を約2.5km走ると、終点の駐車場(5台程度)に到着する。この駐車場は杣山の中腹にあり、山頂の本丸までは、山道を歩いて約30分。杣山は全域がハイキングコースになっており、迷うことなく城跡を探査することができる。先ほどの県道202号線をさらに進むと右手に駐車場と案内板があり、その奥に居館跡がある。この地点からも山頂へとハイキングコースで登ることができる。(2011.10.09)

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