彦根城
所 在 地 | 滋賀県彦根市金亀町 | 別 名 | 金亀城 |
遺 構 | 天守・櫓・門・石垣・堀/再建二の丸御殿 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 井伊直孝 | 築 城 年 | 元和8年(1622) |
歴 史 | 慶長6年(1601)、井伊直政が、18万石で佐和山城に入封する。 慶長8年(1603)、井伊直継が彦根城の築城に着手する。慶長11年(1606)に天守が完成する。 慶長20年(1615)、井伊直孝は、大阪の陣の戦功により23万石に加増される。 元和8年(1622)、彦根城の築城が完成する。寛永10年(1633)、加増により35万石になる。 万延元年(1860)に桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されて以後の、藩内の騒動に対して、文久2年(1862)に10万石の減封を受ける。 |
歴 代 城 主 | 井伊氏14代歴代(18万石-23万石-35万石-25万石) |
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天 守 (現存12天守の一つ 国宝) (構造) 望楼型 (重・階) 三重三階 (形式) 複合式 (高さ) 約15.5m 京極高次の大津城天守を改造して移築し、慶長11年に完成。 付櫓及び多門櫓が付属する複合式天守。 |
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入母屋破風、切妻破風、軒唐破風の各破風が多用され、また二階と三階の窓はすべて華頭窓となっており、凝った装飾になっている。 三階の高欄は廻縁となっておらず、装飾的なもの。 外壁は白漆喰塗り、一重目は腰羽目板張。 小規模ながらも華麗な望楼型天守。 |
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大手門橋 | |
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黒門橋と内堀 本丸への入り口は、大手門と黒門の他に表門がある。 |
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大手門橋付近の内堀 向うに彦根東高校 石垣は、鉢巻腰巻石垣となっている。 |
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天秤櫓(国重要文化財)と廊下橋 鐘の丸と太鼓丸を分断する堀切の上を廊下橋が跨ぐ |
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天秤櫓(国重要文化財)と廊下橋 廊下橋にはかつて、屋根と、腰壁が付いており、この名称がある。 |
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太鼓門(国重要文化財) 右、続櫓 |
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玄宮園と天守 玄宮園は、4代藩主井伊直興のとき、 延宝8年(1680)に造営された池泉回遊式庭園。 |
彦根城は、大坂豊臣氏を封じ込める西国の押さえとして、12大名に築城助役を命じた天下普請として築城された。 琵琶湖に突き出た金亀山の山頂に天守を築き、これを本丸として、内堀と中堀が囲み、さらに城下全体を外堀が囲む総構えの縄張りとなっている。 昭和60年、表御殿が彦根城博物館として、一部外観復元で、木造で再建されている。 |