敏満寺城

 所 在 地   滋賀県犬上郡多賀町敏満寺  別 名    ―
 遺 構   土塁、井戸、石垣  形 式   平山城
 築 城 者   不明  築 城 年   不明
 歴  史  敏満寺城という城は存在しない。敏満寺が城塞化したものであり、城址はあくまでも敏満寺遺跡と呼ばれている。
敏満寺は、伊吹山寺を開基した三修上人の弟子の敏満童子により、9世紀末から10世紀始めにかけて開基されたとされている。室町時代には湖東地方で有力な天台系の寺院として大きな勢力を有するに至る。このため、佐々木六角氏や京極氏と緊張関係となり、僧兵を抱えて、城塞化した城郭寺院になったものとみられる。
戦国時代に入り、浅井長政に敵対した久徳氏に味方したため、永禄5年(1562)(あるいは永禄3年)、浅井の軍勢に攻められ、坊舎が殆ど炎上する。
元亀3年(1572)には、織田信長の命に服さなかったため、織田軍に攻められて残りの坊舎も焼かれ、寺領も取り上げられる。
そして慶長年間に、彦根城築城のために、石垣や礎石も持ち去れ、完全に消滅する。
歴 代 城 主  ―


曲輪への虎口 城門があったとされる 曲輪内と、曲輪を囲む土塁


櫓台の跡 現地案内図
金属板に線刻されているので鮮明に表示できない


城域は、名神高速道路の多賀サービスエリアから胡宮神社にかけての範囲である。多賀サービスエリア内の上り線の側の一画が、発掘調査され、遊歩道の公園として保存されている。

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