烏山城

 所 在 地   栃木県那須烏山市  別 名   臥牛城
 遺 構   石垣 土塁  形 式   山城
 築 城 者   那須資重  築 城 年   応永25年(1418)
 歴 史  烏山城は、応永25年(1418)に那須資重が、八高山頂に古本丸を築いたのに始まる。那須氏の居城となるが、天正18年(1590)の小田原攻めに、当主の那須資晴が遅参して改易された。
同年、武蔵より成田氏長が3万7千石を与えられて烏山藩を立藩した。
元和2年(1616)、家督争いが続いて、当主の成田氏宗は城を没収され、元和9年(1623)に松下重綱、常陸子張より入封した。以後、短期間で城主が交代する。
寛永4年(1627)、堀親良が下総真岡より入封する。寛文12年(1672)、板倉重矩が三河中島より入封する。天和元年(1681)、那須資弥が下総那須より入封し、旧領に復帰する。貞享4年(1687)、永井直敬が入封する。元禄15年(1702)、稲垣重富が上総大多喜より入封する。
享保10年(1725)、大久保常春が入封し、以後、大久保氏が幕末まで続く。
歴 代 城 主 那須氏、成田氏3代(3.7万石→1万石)、松下氏(2万石)、堀氏(2.5万石)、板倉氏(5万石)、那須氏(2万石)、永井氏(3万石)、稲垣氏(2.5万石)、大久保氏(2万石)


山麓の三の丸の石垣 藩庁の居館が営まれた


烏山城は、標高202mの八高山の山頂周辺にあり、東西370m、南北510m、面積88haの広大な規模を誇る。古本丸、本丸、北城、中城、西城と、常盤曲輪(二の丸)、若桜曲輪、大野曲輪の、五城三郭といわれる壮大な城跡が、山上に残っている。山麓には、山城を禁ずる幕令により、三の丸が造営され、居館が営まれていた。城の建造物は、明治5年の大雪と翌年の大火によって失われたが、山上の曲輪には、石垣、土塁、空堀が状態良く残っている。関東で石垣が残る城は貴重である。


二の丸の石垣 本丸の石垣


本丸の正門 古本丸の土塁


麓の三の丸から、七曲の山道を10分ほど登ると、山上の本丸に達する。




現地案内板の地図


<アクセス>
烏山高校の前(西側)を南に200m下ると、三叉路があり、右手(西側)に入る細い道がある。この道を150mほど進むと、突き当りが寿亀山神社。寿亀山神社の前が三の丸跡であり、左手に山上に続く道がある。寿亀山神社の前に車を数台停めることができるスペースがある。(2009.11.01)

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