太田原城

 所 在 地   栃木県太田原市  別 名   龍城 前室城
 遺 構   土塁 空堀  形 式   平山城
 築 城 者   大田原資清  築 城 年   天文12年(1543)
歴 史 大田原城は、天文12年(1543)に、大田原資清により築城された(天文14年の説もある)。太田原氏は、室町時代初期の明徳2年(1391)に足利幕府の命により太田原康清が那須氏の客将としてこの地に入って以後、土着した豪族である。
天正18年(1590)、孫の大田原晴清のとき、豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣して大名となる。
慶長5年(1600)、会津の上杉氏に備えるため、徳川家康の命により城を改築する。
慶長7年(1602)、加増により、大田原藩を立藩する。以後、太田原氏は移封されることなく、明治維新までこの地を支配した。
明治元年(1686)、戊辰戦争に際して、太田原城は会津攻めの拠点とされ、旧幕府軍に攻撃されて三の丸が炎上した。
歴 代 城 主 太田原氏(1.2万石)


本丸跡 周囲は土塁で囲まれている


城は、蛇尾川に面した丘陵の上に築かれた平山城である。本丸の南に一段下がって二の丸、さらに南側に一段下がって三の丸が配置され、また本丸の北と西に北曲輪と西曲輪が設けられており、東西210m、南北330mの規模である。
現在、本丸とその周囲が龍城公園となっており、桜とつつじの名所とか。


本丸西側の土塁 北曲輪


現地案内板の
太田原城の図


<アクセス>
国道461号線の蛇尾橋の西詰を南側に折れると、城跡の龍城公園の敷地となる。駐車場はないが、公園敷地内の道端に空きスペースを見つけて駐車が可能。(2009.11.01)


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