小山城

 所 在 地   栃木県小山市城山町  別 名   祇園城
 遺 構   土塁 堀 曲輪  形 式   平山城
 築 城 者   小山氏  築 城 年   応永〜寛政(1460-65)
 歴 史  小山氏は、初代政光以来、鎌倉幕府内で威勢を振るってきたが、室町期に入り、11代・義政のとき、鎌倉公方・足利氏満に叛き、永徳2年(1382)に滅亡した。小山氏は、応永4〜5年頃(1397-8)に再興され、小山城は、この再興後の初代泰朝によって築城された。以後、小山氏の居城となり、3代・持政のとき拡張された。
天正5年(1587)、秀綱のとき、後北条氏に攻められて落城し、小山氏は滅亡した。小山城には北条氏照が入った。
豊臣秀吉の小田原攻めによって後北条氏が滅亡した後、慶長12年(1607)頃、本多正純が入封した。
元和5年(1619)、本多正純は宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となる。
歴 代 城 主 小山氏歴代、後北条氏、本多氏(3万石)


二の丸の南西の馬出と、馬出しの東と北を囲む堀


小山城は、思川の東岸に沿った丘陵に築かれており、南北に曲輪が連なる連郭式である。北条氏照が小山城に入ったときに大幅に拡張され、次いで本多正純によって、東西400m、南北700mの最終的な縄張りが完成した。
城跡は、現在、城山公園となっており、曲輪を画する堀や土塁が良好に残っている。


本丸曲輪 本丸の土塁


本丸と二の丸の間の堀切 二の丸の北側の堀


現地案内板
の図

<アクセス>
思川に架かる県道31号線の観晃橋の、東側麓の十字路(信号あり)を北に入り、次の十字路を左折すると、城山公園への入り口がある。ここには車を停めることができない。突き当たりを右折すると、道は細くクランクしているが、その先の左側に広い駐車場がある。(2009.11.02)


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