唐沢山城

 所 在 地   栃木県佐野市富士町・栃本町  別 名   栃本城
 遺 構   石垣 土塁 堀 曲輪  形 式   山城
 築 城 者   佐野盛綱  築 城 年   15世紀後半
 歴 史  唐沢山城は、平安時代に藤原秀郷が唐沢山に築城したのが始まりとされ、秀郷の子孫は佐野氏を名乗り、鎌倉時代に唐沢城を完成させたと伝えられる。
実際に唐沢山城が確認されるのは、佐野盛綱のときで、延徳3年(1491)頃に、築城あるいは修築されたと考えられている。そして16世紀末頃に、現在確認される城郭になったとみられる。
唐沢山城は、上野国と下野国の間の要衝に位置し、戦国時代に入ると、越後の上杉氏と、相模の後北条氏の勢力に挟まれた。佐野昌綱のとき、上杉謙信と結び、永禄2年(1559)に北条氏政に攻められるが、撃退した。昌綱の子の宗綱は上杉と決別し、上杉の軍に責められるが、幾たびも退けた。天正15年(1587)には北条氏康の子の氏忠を養子に迎え、後北条氏と和議を結んだ。しかし天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅んだ後、昌綱の弟の房綱が氏忠に代わって、唐沢山城を継ぎ、秀吉に従った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、徳川方に付き、所領を安堵されて佐野藩が成立した。そして慶長12年(1607)、佐野氏は春日岡城(佐野城)を築いて移り、唐沢山城は廃城となった。
歴 代 城 主 佐野氏


唐沢山城の見どころは、何といっても、本丸の西面の高石垣


唐沢山城は、標高242mの唐沢山の山頂一帯の主郭部と、根小屋の曲輪群からなる。主郭部は、本丸、二の丸、三の丸、引局、南城、北城などからなり、石垣が、本丸、二の丸、三の丸、引局、南城に確認されている。関東地方において、石垣が多用された数少ない城として貴重である。
上杉、後北条の軍勢を何度も撃退した堅固な城であり、関東七名城の一つとされる。


大手虎口 枡形になっている 大手虎口と主郭の間の空堀(四つ目堀)


三の丸の石垣 二の丸の北面の虎口


本丸の東面の石垣 本丸と引局の間の虎口


<アクセス>
国道293号線の田町交差点の信号を南東へ折れ、県道115線に沿って約2.5kmで田沼高校の前を通過する。そのまま直進して、山に入る曲がりくねった車道をのぼると、唐沢山神社の広い駐車場に到着する。ここに車を置いて、城へと入ることができる。(2009.11.02)

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