皆川城

 所 在 地   栃木県栃木市皆川城内町  別 名   ほら貝城
 遺 構   土塁 竪堀 横堀  形 式   山城
 築 城 者   皆川氏  築 城 年   南北朝時代
 歴 史  皆川城は、下野国南部に勢力を張った皆川(長沼)氏の居城。皆川(長沼)秀宗により築城されたといわれる。
皆川広照のとき、天正13年(1585)に、北関東攻略を狙う後北条氏に攻められる。猛攻に耐えるが、翌天正14年に降伏した。
豊臣秀吉の小田原攻めの後、皆川広照は、秀吉に従い、栃木城へ移って、皆川城は廃城になった。
歴 代 城 主 皆川氏


保存状態が良好な竪堀


皆川城は、比高100mの丘陵の北面を除く全体を階段状に削平し、山の形状をそのまま利用して築かれている。その形から「ほら貝城」とも呼ばれる。丘陵の南面の麓に居館が置かれていた。
階段状の曲輪、竪堀、横堀が、丘陵の斜面に保存状態よく整備されて残されている。また麓の西側に高い土塁があり、その外側には堀の跡も残っている。


最高所の本丸曲輪 本丸の西側の、最も広い西曲輪


下から見た、階段状の曲輪群 上から見た、階段状の曲輪群


<アクセス>
栃木市内から県道75線を西に向かい、東北自動車道の高架下を潜って300m走ると、道路は二股に分かれている。ここを右側へと入ると、300m程で、右手に皆川地区公民館がある。この公民館の背後の山が、皆川城。公民館の広い駐車場を利用することができる。駐車場が居館跡でもある。(2009.11.02)

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