長浜城

 所 在 地   滋賀県長浜市公園町  別 名    ―
 遺 構   曲輪/再建天守(摸擬)  形 式   平城
 築 城 者   羽柴秀吉  築 城 年   天正4年(1576)
 歴  史  天正元年(1574)、羽柴秀吉は浅井氏攻めの功により、織田信長から北近江三郡を与えられ、小谷城に入った。
天正2年(1575)、秀吉は、今浜の地に築城を開始する。翌年、小谷城から今浜に移った。天正4年(1575)、城が完成し、今浜を長浜と改名する。
天正10年(1582)、本能寺の変のあと、清洲会議で、長浜は柴田勝家領となり、甥の柴田勝豊が入城した。
天正11年(1583)、賤ケ岳の戦いで、柴田方が敗北し、城は開城する。
天正13年(1585)、山内一豊が2万石で入封する。天正18年(1560)、一豊は遠江掛川に転封する。
慶長11年(1606)、内藤信成が駿府より4万石で入封する。元和元年(1615)、内藤信正は摂津高槻に移封する。
以後、長浜は井伊・彦根領に加えられ、城の建物や石垣は彦根城などに移設された。
歴 代 城 主 羽柴秀吉、柴田勝豊、山内一豊、内藤信成・信正


 天守
コンクリート造りの模擬天守

望楼型
三重五階
独立式

昭和54年、市立長浜城歴史博物館として建築

彦根城の築城資材として建物や石垣が持ち出されたため、遺構ははほとんど残っていない。
天守最上階からの琵琶湖方面の展望


天正元年(1573)、浅井氏の旧領を与えられた羽柴秀吉は、翌年、京極家家臣高坂氏の今浜城で築城にかかり、小谷城の城下も移転させる。信長の名にちなんで、今浜を長浜と改名したといわれる。

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