高槻城

 所 在 地   大阪府高槻市城内町  別 名   入江城
 遺 構   模擬石垣・模擬水堀  形 式   平城
 築 城 者   和田惟政  築 城 年   永禄12年(1569)
 歴  史  永禄12年(1569)、上洛を果たした織田信長が、和田惟政を高槻城の城主に任じる。
元亀4年(1573)、和田惟政の子・惟長は、高山飛騨守・右近父子と争って追放され、高山右近が城主となる。
天正9年(1585)、高山右近は、明石に移封し、新庄直頼が入封する。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで新庄直頼は、西軍に属して改易され、幕府直轄地になる。
元和元年(1615)、内藤信正が近江長浜より入封する。元和3年(1617)、土岐定義が下総守谷より入封する。元和5年(1619)、松平(形原)家信が三河形原より入封する。寛永13年(1636)、岡部宣勝が播磨龍野より入封する。寛永17年(1640)、松平(形原)康信が下総佐倉より入封する。
慶安2年(1649)、永井直清が山城長岡より入封する。以後、永井氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 和田氏・高山氏・内藤氏(4万石)・土岐氏(2万石)・松平(形原)氏(2万石)・岡部氏(5万石)・松平(形原)氏(3.6万石)・永井氏13代(3.6万石)


三重の天守をもつ本丸、二の丸、厩廓、弁財天廓からなる内廓、そして帯廓、蔵屋敷、三の丸、出丸からなる外廓を擁し、幾重もの堀に守られていたという。
城址公園に造られた模擬の石垣と堀 現地案内板より


高槻城は、高山右近の居城として著名であり、また京・大坂の間に位置するために、幕府の命令で造・修築が繰り返された。しかし、明治初年の鉄道敷設の際に破壊され、石垣の殆どは線路の敷石在として搬出された。このため、城の遺構は、石垣や堀など、ことごとく消滅している。
現在、三の丸跡の一画に城址公園があり、模擬の石垣と堀が造られており、これで往時を偲ぶしかない。

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                次の頁に進む