龍野城

 所 在 地   兵庫県龍野市竜野町  別 名   霞城
 遺 構   土塁・石垣 復興櫓門、摸擬隅櫓  形 式   平城
 築 城 者   本田政朝  築 城 年   天和3年(1617)
 歴  史  明応8年(1499)に赤松村秀が鶏籠山の山頂に築城したのが、始まりとされる。天正9年以降、豊臣秀吉配下の、蜂須賀政勝、木下勝俊、小出吉正が城主になり、関ヶ原合戦に至る。関ヶ原の後、播磨は池田輝政の領地となり、龍野は池田家の家老の知行地となる。
天和3年(1617)、本田政朝が、5万石で龍野城主となり、山麓の現在地に城郭を移す。
寛永3年(1626)、小笠原長次が、入封する。寛永10年(1633)、岡部宣勝が、美濃大垣より入封する。寛永14年(1637)、京極高和が、出雲松江より入封する。万治元年(1658) 、京極高和は、讃岐丸亀へ転封し、龍野は廃藩になる。
寛文12年(1672)、脇坂安政が、信濃飯田より入封し、本丸御殿などを造営して城を再建する。以後、脇坂氏10代が明治維新まで続く。
歴 代 城 主 赤松氏、蜂須賀氏、木下氏、小出氏、池田氏3代、本田氏1代(5万石)、小笠原氏1代(6万石)、岡部氏1代(5万石)、京極氏1代(5万石)、脇坂氏10代(5.3万石)


龍野城には、天守や独立櫓が建造されず、本丸御殿が造営されただけという。
現存する遺構は土塁と石垣の一部のみ。

櫓門が復興されており、また摸擬二重櫓も建てられ、城らしい雰囲気の公園に整備されている。
復興された櫓門


櫓門内の枡形

復元された本丸御殿
脇坂安政が造営したのを復元

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