兵庫城

 所 在 地   兵庫県神戸市兵庫区中之島  別 名    ―
 遺 構   なし  形 式   平城
 築 城 者   池田信輝・恒興  築 城 年   天正9年(1581)
 歴  史  天正6年(1578)に伊丹有岡城主の荒木村重が織田信長に叛いたあと、天正8年(1580)に池田信輝・恒興父子が荒木村重の持ち城の花隈城を落城させた。
荒木攻めの功により、天正9年(1581)に池田信輝・恒興は兵庫の地を与えられ、花隈城の資材を用いて、兵庫城を築城した。
後に池田恒興は大垣に移封され、豊臣秀吉の直轄地になって、城としての機能は失われたようである。ただ、城自体は、尼崎蕃領時代は陣屋、幕府直轄地時代は大坂奉行所の勤番所として使用された。
また明治に入ると、城の敷地内に兵庫裁判所が設けられ、これが兵庫県庁となって兵庫県の名の興りになる。
歴 代 城 主 池田氏


          兵庫城跡の石碑
新川運河を挟んだ中央市場の対岸のキャナルプロムナードの中央部に建っている。
現地案内板に掲示されている元禄9年の古地図。城は一重の堀で囲まれた単郭であるが、築城当時については不明。


兵庫城は、江戸期は、140m四方のほぼ方形の曲輪を堀で囲んだ単郭であったようである。
明治7年の新川運河の開削により、城の中心部は川敷になり、また中央市場など市街地化によって、城跡は完全に消滅している。

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