花隈城

 所 在 地   兵庫県神戸市中央区花隈  別 名   花熊城
 遺 構   なし  形 式   平城
築 城 者  荒木村重  築 城 年   天正2年(1574)
 歴  史  花隈城は、織田信長の命により、有岡城主の荒木村重により築城された。敵対する石山本願寺と毛利氏との海上交通を絶つことが目的である。
築城年には諸説があるようで、花隈城址の石碑の解説によると、永禄10年(1567)となっている。しかしながら、織田信長は永禄10年にようやく美濃を攻略した段階であり、足利義昭を奉じて上洛したのは永禄11年である。従って永禄10年の築城はありえない。また石山本願寺と敵対するのは元亀元年(1570)であるので、築城はそれ以降のはずであり、天正2年(1574)という説が正しいと思う。
しかし、天正6年(1578)に荒木村重が織田信長に叛いたため、花隈城は攻められ、天正8年(1580)に池田信輝・恒興父子によって落城した。
翌天正9年(1579)に池田信輝・恒興が兵庫城を築城するにあたって、花隈城の資材は運び去られ、城は消滅した。
歴 代 城 主 荒木村重


     花隈公園に建つ花隈城跡碑
昭和3年に池田輝政の子孫、岡山池田家の当主の池田宣政侯爵が建てたもの。
花隈公園は丘のように盛り上がった公園であり、全体が城をイメージしたような石垣造となっている。その最上部に天守台様の石垣がある。勿論、城の遺構ではない。


花隈城の城域は、東西200m、南北100mで、本丸、二の丸、三の丸からなり、天守も備えた大掛かりなものとされているが、詳しいことはわかっていない。
現在、元町駅近くのJR線沿いの花隈公園に石碑が建てられているのみで、城の遺構は残っていない。

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