岸和田城

 所 在 地   大阪府岸和田市岸城町  別 名   猪伏山、ちきり城
 遺 構   石垣堀、天守(再建)、櫓(再建)  形 式   平城
 築 城 者   小出秀政  築 城 年   天正13年(1585)
 歴  史  天正11年(1583)、羽柴秀吉が、根来・雑賀への押さえとして、中村一氏を岸和田城に入れる。
天正13年(1585)、根来・雑賀攻めの後、中村一氏を近江水口に移し、小出秀政を城主とする。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで、長男の小出吉政が西軍につくが、三男の小出秀家が東軍に与したため、所領は安堵される。
元和5年(1619)、小出吉英は但馬出石に転封し、丹波篠山より松平(松井)康重が入封する。元和9年にかけて改築し、伏見城より移築された伏見櫓を築く。
寛永17年(1640)、松平康映は播磨山崎に転封し、摂津高槻より岡部宣勝が入封する。
文政10年(1827)、天守が落雷で焼失する。
歴 代 城 主 小出氏2代(0.4万石→3万石)、松平(松井)氏3代(5万石→6万石)、岡部氏13代(6万石→5.3万石)


天守(模擬)

天守と子天守からなる連結式天守
かつての天守は五重であるが、三重で再建されている。
コンクリート製の模擬天守であり、資料館として使用されている。


岸和田城は、大阪湾の水際に築かれ、かつて五層の天守を持っていた。変則五角形の本丸の五隅に櫓を設け、多聞櫓で連結し、幅の広い内堀と外堀で囲まれていた。
本丸と内堀、二の丸が現存している。三の丸の跡は、市役所やグランドになっている。


内堀と本丸石垣と天守
石垣の下端に犬走りが形成されている。
内堀と隅櫓
隅櫓には多聞櫓が連結されている

現地案内板
多聞櫓門


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