上平寺城

 所 在 地   滋賀県米原市上平寺・弥高・藤川  別 名   苅安城 桐ケ城
 遺 構   曲輪 土塁 土橋 堀切  形 式   山城(標高669m)
 築 城 者   京極高清  築 城 年   永正2年(1505)頃
 歴  史  近江の北部は佐々木・京極氏が守護として支配していたが、応仁の乱(1467-1477)の後、京極氏は高清と政経が対立して争い、永正2年(1505)に高清がようやく北近江を統一する。このとき、高清は伊吹山麓に館(京極氏館)を構え、その詰めの城として、上平寺城を築いた。
大永3年(1523)、京極氏の家臣団のクーデターにより、京極氏館は滅びるが、上平寺城は北国脇往還を見下ろし、近江と美濃の国境に位置する要地にあるため、以後も境目の城として機能する。
元亀元年(1570)、浅井長政が越前朝倉と同盟して織田信長と対立すると、長比城とともに、上平城を、朝倉氏の援助を得て改修する(信長公記巻3)。しかし、織田方の調略によって、戦わずして開城している。これ以後、廃城になったものとみられる。
歴 代 城 主 京極氏、浅井氏


城域の北端の土橋

人一人がようやく通れる狭さであり、その両側の堀切の規模が大きい。これほど明瞭に残っている土橋も珍しい。
上平寺城址の最大の見所ともいえる。


上平寺城は、伊吹山から南に延びる苅谷尾根の先端部に築かれている。南北約300mほどに曲輪が連なり、最も幅の広い部分で東西約100m。遺構一帯は、地元の有志により、下刈りがなされており、気持ちよく見学をすることができる。


二の丸の南側の虎口と、その手前の土橋及び両側の堀切 二の丸の土塁


本丸 本丸の東側の虎口


<アクセス>
上平寺の集落の北端に伊吹神社がある。ここが城址への入り口になる。車はその手前左の空き地に置くことができる。神社の境内を奥へ進むと、石の階段の手前左に上平寺城への道しるべがあり、ここから山道に入る。山道はハイキングコースのように整備されているので、迷うことなく、気持ちよく歩くことができる。適度な山歩き気分で40分ほど登ると、城址の南の広い曲輪に達する。(2009.04.12)

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