京極氏館

 所在地   滋賀県米原市上平寺  別 名   上平寺館
 遺 構   庭園跡 敷地  形 式   館
 築 城 者   京極高清  築 城 年   永正2年(1505)頃
 歴  史  近江源氏、佐々木氏は、鎌倉時代初期、近江南部を支配する六角氏と、近江北部を支配する京極氏に分かれた。京極氏は、京極高氏(導誉)の活躍などにより、室町前期は四職の一つとして栄えた。
応仁の乱(1467-1477)の後、当主の京極持清が死去すると、後継を巡って内紛が起こり、高清と政経が対立して争う。
永正2年(1505)、日光寺(米原市)の講和で高清がようやく北近江を統一し、このとき、本拠を米原市清滝の柏原館から伊吹山麓に移し、館を構える。そしてこの京極氏館の背後の山に、詰の城として上平寺城を築いた。
大永3年(1523)、高清を補佐する高坂信光の専横に対して、京極氏家臣団の浅見・浅井・三田村・堀氏などがクーデターを起こし、上平寺城を攻め落とした。このとき京極氏館は焼け落ち、廃絶になったと考えられている。
歴 代 城 主 京極氏


庭園跡

手前と奥に2つの池があり、池には中ノ島がある。庭の中央に「虎石」と呼ばれる巨石が立ち、傾斜面にも多くの石が配置されている。
戦国期の武家庭園として貴重な遺構とされる。


京極氏屋形跡 神社の参道が往時の大手道であり、この両側に、重臣の館や、蔵屋敷などが並んでいた。


京極氏館跡は、現在、伊吹神社の境内となっている。神社への参道の両側に、弾正屋敷、隠岐屋敷、蔵屋敷などの跡が並び、突き当たりに京極氏屋形跡がある。この京極氏屋形跡の奥に、庭園跡がある。また京極氏館の正面には城下町が形成されており、諸士屋敷、町屋敷、市店民屋に分かれた都市であった。


江戸時代初期に書かれたといわれる「上平寺城絵図」


現地解説板より


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