新作&『萌黄の鳥』抜粋 み〜つけた! 詩のある風景 ≪私の好きな歌人≫ 『萌黄の鳥』 本編
『萌黄の鳥』 評 『鍵束揺らし』 HOME  





 
 ― 封印していた十二歳の記憶を解き放った歌人の一行詩 ―



          身に育つ不遜なもの、
           生真面目なもの、
           分析しきれない、
         得体の知れないものなど
           心の軌跡を辿る
           辿る第二歌集     
                     帯文より



 湖岸に小さき舟を隠しいる青年の鍵ひとつあたらし

 山いくつ越さば見えくる泉ならむ魁夷の白馬しろき草食む

 モノクロとなりて冷えゆく坂の街銀杏の幹をぎしぎし揺らし

 昨日のキーではかからぬ老セダン昼の路上に雨あびている

 Jスルーカードで改札通り過ぐニュージーランドの羊に逢いに

  円形のテーブル回りレコード針のごとくなめらかレダの舌先



    
『鍵束揺らし』
   
             棚木恒寿  (音)

歌誌「水甕」に所属する著者の第二歌集。
比喩表現のゆたかさとその果敢な試行に注目した。

 湖岸に小さき舟を隠しいる青年の鍵ひとつあたらし

片手にて捉えられたる冬の蚊はいつよりかこの詩型こだわる

流れゆく川を見ているわれの目玉ふたつが水に浮力をもてり


 日常の出来事に根ざす痕跡を残しなが
らも、やや抽象的な詠みぶりの歌が多い。
一首目、湖岸に隠す小さい舟とは何だろうか。
青年のもつ若さ、矜持、希望、そのようなものの
比喩であるように思われる。そして青年の取り出
す鍵、そのあたらしさまでを見ている主体の視線の
位置は、どこか鳥瞰的で独特だ。
三首目、流れゆく川を見ている主体自身を外側から見て
いるような視線がある。自分の体の一部でありながら、
目玉がいつしか体を離れて浮力をもつまでになる。
そこにたゆたうような不思議な身体感覚。意識の流
れがある。

人の死もこんな風ならむ豊岡の昼裏通りシャッターの町


人に死と、豊岡の街というカテゴリーの違う
言葉を結びつけるこの比喩にもどこか強引ところが
あると思うが、その存在の寂しさが深いところでつながって
いるようだ。

  






  数式に似たる形に裸木は冬の歩道に影落としおり

    十二人使徒のひとりとならむかな切り岸に立つ秋のキリン草

   シュレッダーに使い古しのオノマトペ切られほろほろ鳴ける山鳩

   「わが父は農夫なり」イエスの声す蕎麦畑広がる十勝平野に

 雪片の舞い散る朝のニューヨーク魚は魚しか孕めない

   おうおうと老妻を呼ぶ声漏れ来やや暖かき今朝のお隣り

    斜向かいのインゲン豆は伸び放題女あるじは地球の裏側

 夕刻には別のかがやき上海の毛細血管へ入りゆきたり

流れゆく川を見ているわれの目玉ふたつが水に浮力を持てり

  椎の木の寝方に魚売る男とその妻の声雨に濡れおり

病院をわれのカルテが行き交いて昼暗き廊追いかけゆけり

背後より我を追い越す風のありカーブミラーに映ることなく

 漬物石も冷やさるるキッチンに思考回路は折るることなし

 この村から自殺者の出でて人も子も犬も従う葬儀の列に

  人の秘話あまたを喰いし広樹葉の茂れる街に耳を澄ませる

   稲の田に草茂りきて風のごと蘇りくる姉の記憶は

人の死もこんな風ならむ豊岡の昼裏通りシャッターの町

   サスペンスの結末見ずに月の夜を身ごもることなき犬と歩めり

   天道虫殺めし右手に受話器とりこの朝はじめて人と会話す

   しなやかに板塀越ゆる猫足を思いていたり満座の中に

   蔓草の新芽やわらかに身に触れ来万能細胞も斯くのごときか

 水道業者下水に繋がる穴ひとつ決め帰り支度す

返却日過ぎたる本が一本の草のごと書庫に立ち上がり来る

築40年の屋根軽量瓦に取り換えて少し増そうか我の浮力を

今出川スペイン風の窓をいうもなんら変わらじ普通の窓と

   オオクワガタの卵を今も子は抱く砂漠の都会に朽木を探し

  十五分夫より早く帰りきて今日一日を無かったことにする

   病む鳥も混じりておらむ開花待つさくら古木の枝先ゆらし

嵐電に駆け込みきたる青年は白昼すぐに眠りに落ちたり

    まっ二つに割れしウサギのカップのことまた言い始めたり幼児は

ひだまりにただぼんやりと三毛猫のやさしさのようにいて欲しいだけ