新作&『萌黄の鳥』抜粋 み〜つけた! 詩のある風景 ≪私の好きな歌人≫ 『萌黄の鳥』 本編
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≪私の好きな歌人≫シリーズ

 シリーズ1   春日井 建 
 シリーズ2  斎藤   史
 シリーズ3  春日真木子
 シリーズ4
 シリーズ5




 ≪私の好きな歌人≫シリーズ




春日井 建

1938年愛知県生まれ。歌集『未青年』『行け帰ることなく』
         『夢の法則』 『青葦』 『白雨』『水の蔵』『朝の水』 
中部短歌会所属   

2004年5月22日 癌のため愛知県内の病院で死去享年65歳


春日井建の処女歌集『未青年』は美酒の甘さと、青年の持つ残虐性・孤独・危うさもあわせ
もっている。その文体は翻訳詩・現代詩にも影響を受けたのであろうか華麗である。
(実際は歌人である父の指導を早くから受け、古今集・新古今集にも精通していたという)

作風の残虐性・危うさも青年期特有のものであり、文学上のポーズが多分にあったと思う。
   『未青年』は春日井の17歳から20歳のまでの作品である。このころの早熟な若者の精神構
造はこのようであったと思われるが、この文体はやはり真似できないと思う。
華麗な文を書く三島由紀夫もそこに惹かれたのだと思う。

  三島は『未青年』の序文に「序文の筆者はただ馬の鼻先を、未知のはうへ向けてやれば
よいのだ。それで万事をはりだ。馬は走り出し、旅人は二度とこちらを振向くことはない。」と書き、
春日井建の才能と将来性を高く評価した。また三島は「現代はいろんな点で新古今の時代に似ており、
われわれは一人の若い定家を持つたのである。」(1960.6.)と餞の言葉を述べている。
定家の再来とまで絶賛の序文を贈った、三島由紀夫の方はその後、自決事件を
起こしている。誰も人は人に言えない闇を抱えているのであろう。


『未青年』

大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき
   
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
      
われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見をり

ミケランジ゙ェロに暗くひかれし少年期肉にひそまる修羅まだ知らず

エジプトの奴隷絵図の花房を愛して母は年若く老ゆ
 
石棺に彫られし裸像土ふかく摩滅し生身の父のおとろふ

火祭りの輪抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり

雪やまず窓に氷花の青白き夕べ着ぶくれて母は華やぐ

遥かなるわが祖は男巫(おとこみこ)ならむ瞋恚(いか)れば霏々として雪が降る

  
『朝の水』 
 病に倒れ療養を送る日々

コバルトの放射のあとに失いし舌の快楽を取り戻したり

早朝ののみどをくだる春の水つめたし今日もすこやかにあれ

わが星座はるけき射手がひきしぼる弦あらば必ず的(まと)にとどけよ

天秤をかしぐか天を見てゐしにさらさらと銀河の水こぼれたり

水と炎釣りあふほどの精(ちから)もて淡々と日々は過さむものを






 ≪私の好きな歌人≫シリーズ2 

斎藤 史

  1907年(明治42年)斎藤瀏の長女として東京四谷生まる
      2002年(平成14年)4月26日  93歳にて生涯を閉じる
      
      陸軍軍人の父に従い小学校から女学校時代、旭川市・津市・小倉市・と各地  
      に移り住む。旭川在住の17歳ころより作歌を始める。昭和11年の2・2
      6事件勃発。瀏、反乱幇助の故もって位階勲功を剥奪、刑を受く。
 
 
   歌集  『漁歌』『やまぐに』『うたのゆくえ 』『密閉部落』
       『ひたくれない』『渉りゆかむ』『秋天瑠璃』 ほか歌集10冊
                  上記資料は不織文庫『斎藤史歌集』による
                 

 斎藤史が没して今年で5年目となる。昭和のすべてを知りつくし、平成も衰える
ことなく歌人であり続け、その活動は短歌界にかかわる人ばかりでなく多くの人を
魅了した。没後も歌壇に多くの特集が組まれその偉大な功績が語られている。
 93歳という高齢にもかかわらず、その容貌からも歌からも老いは伺えず、華麗に生きた女流の
一生は見事としかいいようがない。その底に生涯拭い去ることの出来ない闇をかかえながら、
それを歌い継ぐ強靭な(2.26事件)精神の持ち主でもあった。この事件がなくても、歌人として
ゆるぎない評価を得たで
あろうが、また別の斎藤史であったであろう。 晩年の老いの歌は特に魅かれる、
死に近きものの余裕すら感じる。実際の斎藤史のどうであったろうかなどと、詮索するすき
さえも与えない。
その訃報に接しても不思議と悲しみはおぼえなかった。
斎藤史は短歌の源流として変わらず流れるつづけるであろうし、そして同じ川の下流に
いることのよろこびの方を感じるからだ。

 
 1998年 斎藤史の「齋藤史全歌集」宇治市第8回紫式部文学賞授与のため、宇治を来訪。
(前年度発表の女流の優れた文芸作品・文学研究に与えられる賞)  
ちなみに、この年の12月16日 、国際連合の大量破壊兵器査察を拒否したイラクを
米英軍が空爆を開始した年でもあるという。宇治にも縁があったことはよろこばしいことと思う。


『漁火』
  昭和15年刊

スケルッオ

布にしみ汚点ある喫茶店などに入り来て蝿もわれらもて掌をす磨る午後は

窓べにはさぼてん仙人掌の花ひほひ日覆のだんだら縞やわが夏帽子

夜毎に月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ

たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ

てのひらは化石のごとく重ければ壁のおもてに掛けて退く

マントを脱げばランプにけむれる小屋となり赤い部屋靴も息ふきかへす

夕霧はカール捲毛のやうにほぐれ来てえにしだの藪も馬もかなはぬ

定住の家をもたねば朝に夜にシシリィの薔薇やマジョルカの花


濁流
 
2月26日、事あり。友等、父、そのことに関わる。

羊歯の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色

春を断る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らむ

花のごとくあげるのろしに曳かれ来て身を焼けばどつと打ちはやす声


 小さくていのち頼りなき子を抱きかへりし家にすでに父はなし

ひと日見て別れゆくなり孫のためよき名付けよと名を選りませり

あたらしきいのちわが手に置かれたるこのしあはせよ信じて止まず

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

生まれ来てあまりさびしき世とおもふな母が手に持つ花花を見よ 







≪私の好きな歌人≫シリーズ3

春日真木子




歌人 春日真木子  「水甕」
1926年生まれ。水甕代表


歌集 『北国断片』1972年・『火中蓮』1979年・『あまくれなゐ』1982年・
   『空の花花』1987年・『はじめに光ありき』1991年・
   『野菜涅槃図』1995年・『生れ生れ』2004年・『燃える水』2006年

 『尾上柴舟全詩歌集』2005年の編纂に力を注ぐ 
       

「父、松田常憲(水甕を編集)母ソノ、共に歌人であり、真木子は一人子、物心ついた頃から
家は「水甕社」であった。だから真木子は歌の家の申し子、「水甕」の壷の中で育った。」
当然、父常憲より歌の手ほどきを、受けたと思うのが自然であろうが。しかし一度も常憲は
勧めなかったという。むしろ歌つくりには反対だったとお聞きしている。その理由は女だからと
真木子氏は語る。男でもこの重圧は大変なものであることを思えば、常憲の深い思慮からの
言と思うがいかがであろうか。
ところが、 最初の夫を亡くしたという、無念さからいっきに歌をつくることとなる。「先夫の
死後、...突然私は歌を作りはじめた。悲しみもさりながら口惜しさが歯を剥いて歌に向かった」
第一歌集『北国断片』の誕生である。
 『北国断片』出版後 、7年の空白の後1978年、 第二歌集『火中蓮』が刊行される。
「一読して解るとおり、練る、造る、焼くという体を通しての陶磁との交感著しい。短歌と
もうひとつ別の趣味として陶芸焼物の世界があるのではなく、短歌を主にいえば歌の
向こうに焼き物の世界があり、歌を導き、歌を深化させている。」田井氏の歌集評である。
                 (現代短歌文庫 春日真木子歌集 「  」内は田井安雲氏の文引用 )


 にんげんの知恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたらし
                   
近江神宮  歌碑 
 
                  春日 真木子

人間の英知を傾けつくられた漏刻に水が注がれた、いにしえに思い
馳せつつ詠まれた歌。まだ誰も思い及ばなかったものへの憧憬を
「秘色の水」とし、「刻まあたらし」は未来永劫に、新しい時を刻むこと
への賛美であろう。漏刻の水が「水甕」の甕に流れ、その水がそれぞれの甕
を潤すことを願うとの除幕式の言葉にあった。
知的で瑞々しくスケールの大きな春日真木子の世界感がひろがる。




『北国断片』 (抄)

 妻なりし過去もつ肢体に新しき浴衣を存分に絡ませて歩む
 
児の成長に関わりて生きよと言われし夜牛蒡の粗きささがきを造る

髪の根迄も風は爆せり芯強気女と言われつつ株買いに行く

 波立てる草原のなか不適なる顔をさらして黒牛のいる

淡き雪散らして過ぐる風妊れぬわが哀しみも清く伝えよ

 渇きたる舗道にアカシアの花転び彩り乏しくわが夏来る
 

『火中蓮』(抄)

さくら木を仰ぐ咽喉もと膨らみていま昇りくる言葉を待てり
                   
あけ  
沼ふかく轆轤はめぐり鮮しき充血のあり明けのさくら木

ゑまふごとく臍の底ひにあたらしき血の渦まけり 無頼も育て
      
                  マッス
たそがれのひかり混ぜつつ揉む土のあはれわが脳ほどの塊

天心をひた指す壷のひとすじの息のふかさに立ち上がりたり
       
あなうら 
ほとばしる火に跳べる幻の蹠かろく皿に乱るる
                                  
うすあをき古染付けに翔ぶ雁は偶数にして昏しこの皿
ゑさ                                
 餌をまくひとりに蹤きて白鳥の頸のうねりの揃ふさびしさ


『野菜涅槃図』(抄)
              
アモール・フアーテイ
はぐれたるわが身ちかく脚おろす運 命 愛ふとき夕虹

 虹消えてふたたびひろき空のもとありありとわれのうしなひしもの
    
ゆふいひ                    ゆげ              
 夕飯の白粥ひかり亡きあとに思へば遊戯のごときひとこま

 みづからの羽根を紡ぎてゐたりしか看護おほせし身を撫でてゐる

 大根をめぐりて青菜 茄子 西瓜 介護あかるく野菜涅槃図
  
てのひら     
千の実をかかぐる千の掌のみえて観音となれる柿木


 『生れ生れ』(抄)
              
テラ                                         
たとえば地球滅ぶとも曾の孫にわれは植ゑむよ林檎を植ゑむ

花の渦なして揺らぐを腕といふ早ういできて手を結ばうよ

絨毯の長き毛足を分けて這ふこのみどりごの一枚の地図

          あゆのかぜ                                       
安由乃可是 鮎の風とぞ呟けり雪夜しんしん宇宙ふかしも

風を汲み鶴は大きく翔ちゆけりふつと昏しもわが足もとの

ロシアまだソ連邦なる地球儀にあかねさす昼虻がきてゐる


『燃える水』(抄)

白桃にむかしの夕映えくれなゐのながれはじめつ明かり消してより

水の面に映る紫陽花溶け入りて息やわらかき母のほほゑみ
 
とき
漏刻とふ水を積みつぎ示す時大和の国の若かりし頃
                 
ひそく    とき
にんげんの知恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたら
   
、、、、    
馬方は馬をあつかふうたかたは歌あつかふや鴨長明

ライターにひとひらの火の生れけり「燃える水」とぞ誰かいひたる

しづかなる交替見する椎のもとわれもぶあつき齢を負ひぬ
                                    
 あ  
噴きいづる水のはじめのためらひを見てをり水はうぶうぶと生る