新作&『萌黄の鳥』抜粋 み〜つけた! 詩のある風景 ≪私の好きな歌人≫ 『萌黄の鳥』 本編
『萌黄の鳥』 評 『鍵束揺らし』 HOME  

『萌黄の鳥
 
本編




T 逃がしたる魚・楓葉の街・スペアーキー・ボイルの法則・木箱を抜くる・黄の断面
U 扉ひらき・象形文字・パープルの車・黒帽子・奪いゆく鳥・予告信号・洛中洛外図
V 未確認情報・風の音・獣煽られて・花の輪郭・猟獣区
W 葉月土曜・幻の魚・北国街道・霜月凍夜
X 人走るゆえ・無神論者・湖の住人・ ピエロの眼・ステンドガラス・あとがき



T U V W X

T


逃したる魚

逃したる魚浮かびきぬ赤いろにぬりつぶされし画布の裏より

文庫本に身を埋むるというならず未来館にて人を待ちおり

沈めおく言葉ふたたび燃え出して南京黄櫨の木より飛び出す

雲低くたれ込むる昼の住宅街にツルゲーネフがひとく括りある

赤松にしゅるしゅる絡む蔦のごと野望は常にひそやかであれ


楓葉の街

木枯らしに散る楓葉が風が追いユトリロ冬の街は明るむ

美術館への道すがら 雑貨店古き燭台灯す火をもたず

ミケランジェロの聖ペテロが冬の日の朽葉色なる風をまとえり

透明の深層水がジンフィズの中の氷とレモンを包む

卓上の伝票男がとりしより我の優位は崩れ行きたり

壊れたる花瓶の水を吸いてまだ渇きやまざる緋色の絨毯

ロダンの愛人と位置付けられているカミーュ裸木の夕映えの中

進化論自然淘汰の狂いきつコーヒーにゆるくミルクは溶けて

陶板の庭に夕くれ迫りきぬ金貨とユダの顔面おぼろ

カンバスを男はみ出す美術館の薄暗き廊の壁にもたれて


 スペヤーキー

白昼に仕掛けられ罠のあり舗道にきき足より崩れゆく

もう一人の私を捜すスペアーキー見知らぬ街の雑貨店にて
 
台詞めく我の言葉が白昼の留守番電話を侵食なせり

青サルビアの射程距離に入りゆくか真昼蜜蜂の羽音消えて

ジャスミンの花の香満ちて来る部屋に人間嫌いの男が眠る

飲み干ししビールの缶を潰しおく我の存在消しさるごとく

言葉にて殺められし夜サバンナに身を伏して雄の豹となりたり

さりげない言葉が意志をもちはじめ水割りいっきに飲み干されたる

楷書文字五行で足りる我が履歴 自画像三日かけて仕上げる

三分間で作られ来たるスペアーキーにてこじあくる我の日常

長十郎の真芯にナイフとどきたり夏は思い出の中へ落ちゆく

渇水の長く続きしかの夏のある日サリンを知りき

ユトリロの複製の画の街角に晩夏の日差し深く入りゆく


ボイルの法則

ガラスの破片のように飛び散りたいわれの細胞が叫ぶ熱暑の街に

人語とも鳥語ともなき言葉交わし真昼の電車に若者揺るる


うつむきて独りもどり来る少年はすでに樹海をもちはじめしか

紫のくちびるがサリサリと食むサラダ菜キャベツ人参りんご

去り際に子の残したる言の葉の破片散らばる昼の路上に

人口のひかりを浴びてもみの木はざさなみほどの人語をもてり

横書きの「ボイルの法則」ゴチック体君と我と距離を重ねる

足長き少年午後の街に溢れ「車輪」のハンスはどこにもいない

外壁の猫の爪跡鋭き猫文字に冬夜の出奔理由を資す

空っぽの部屋の真中に起こりたりジェームス・ディーンのニヒルな笑い


木箱を抜くる

「医学を哲学する」黄金の背文字が昼の木箱を抜くる

透明のガラスに映り深海魚水圧に耐えている雨の午後

紺色のリクルート服を脱ぎ捨てし部屋に触覚うごめきはじむ

医学書の並ぶ娘の木の書庫に我の病名いくつ隠さる

首回りのサイズを知れる店員の勧むる豹の模様のコート

芽をえぐり取られし馬鈴薯ふつふつと琺瑯鍋に音たてている

言葉もて表せば身はこまぎれにに分解されゆ解剖の書に

偏頭痛左脳を過ぎて肩翼をもぎとられゆく昼のペガサス

やわらかきあけびの蔓をさらいゆく森に一条の光の差して

木菟ばかり描きし息子の耳飾り漆黒の闇をひとり駆けいし

眠れない夜に増え来し羊らにかのクローンも混じりていんか

証跡をあとかたもなく消しさりぬ机上の冬のポインセチアは


黄の断面

グレープフルーツの黄の断面にフォーク刺す出発点はこのちと決めて

樹海の中を迷い来たりてうっすらと白き息吐く樹木もありぬ

人口のの池に人口の島浮かべてサガンの夢を暖めている

壁面のジグソウパズルの一角が崩れしより育つ潰瘍か

一列に目に飛び込める花菖蒲ひたすら逢いに行きし日のあり

紺色のリクルート服に身をつつみ娘は新しき夏毛をまとう

 コンタクトレンズ朝の人込みを分けてゆきたり溺れぬように

地下街のざわめきを抜け路地裏に水脈をいうをひそかに捜す

週末のヒロイン見つけたりレンタルビデオ店の棚にて

猫足の木椅子を揺らししなやかに流れてみんか五月の風に


T U V W X
U

扉ひらき

いちにんを描き終わりて油絵の臭を消すと茶房に来たり

伊勢丹の美術館「駅」にユトリロの一生分のビデオが回る

夕べ遅く石榴の実が割れマンハッタン超高層ビルテロに消さるる

描きたき男のひとりアフガンの地に潜むオサマ・ビンラディン

冬物のセーター捜し靴さがし時の間に過ぎし人を捜せり

沸点をもたぬ男の横顔を夜の茶房のガラスが写す

エスカレーターに迫り上がりくる男の視線をマネキン黙殺せり

その母にに抱かれ眠るみどり児の七人の敵も育ちているか

バジリコの新芽いっきにに生えそろい君への反論考うる夜

木枯らしの夜に帰り来し メドゥサガ言葉払うごと髪解かす

象形文字

迷彩色の紳士用シャツを干し上げしベランダ越しに冬野は乾く

ペガサスが光失う真昼刻吟のスプーンセットを磨く

萌黄色の鳥迷いくるベランダを翔び立たんとす我の利き足

ハングルの文字の満たる住所録 洞窟の中の象形の文字

冬の夜の山羊座の星を共有すケビン・コスナーと日本の私

トルストイ全集売る古書店があからさまとなる裸木の下

窓際のアルペンブルーの鉢植えがこの朝欲す水とドビュッー

モカコーヒー七杯分の代金を卓上に置く昼暗き茶房

代替に失いしもの夜毎木の階をきします家族の「足音」

不定愁訴上昇線をたどりたる真夏の眠りにハッカー許す

深海魚になりそこねたる藍の魚パッチワークに組み込まれゆく

主と従の関係あいまいな雄猫と籐椅子の傷を共有している

大方は山羊座の運勢もちて待つ免許切り替え日の螺旋の階に

鴉よけのグッズ売る店を足早に去りたり捕獲の追手を避けて

青銅の脚長椅子より飛び立ちし鳥の消えたる灰色の空


パープルの車

パープルの車に乗りて月蝕の一夜帰らずわれの仔猫は

われにつき来し影われを越しゆけりグリ−ンボールの角曲がるとき

誕生日の娘に贈りしシュレッダー刃音を立つる月蝕の夜

透明のガラスの中より一日の私を見詰むキリコの青銅

膝折りて地にうずくまる老鹿はすれちがいざま雄の目をせり

草原の馬が喰わぬという花を誕生花として娘生れし来し

思考回路ひとつところに止まりて羊雲未だ群れを解かれじ

ブラインド一点を差しくるひかりキリコの像の眠りを覚ます

ネコ科・夜行性・草食動物 足音を忍ばせ家に帰りくる娘は

鮫色の小さきケースに沈みいる露草色の娘のアイシャドウ


黒帽子

鍔せまき中也の帽子見失う四条河原町雨の降りきて

人の心切り売りさるる街角に映るランボーの影太りゆく

灰汁色の鬱の晴れゆく予感あり馬鈴薯の芽深くえぐりつ

鉄鍋に白く浮き上がれる脂肪きのうの我にふるるごとあり

詩心のの浮かばぬ夜に太りゆくアロエの葉っぱと蜥蜴の尻尾

木枯らしに紛れて告げ来 白秋も「文人悪食」例外ならぬを

クレゾール匂う病院の廊におり浸されやすき人間として

長州人・精神科医の男を捜す晩夏の街のひかり集めて

人群れに逆らいて立つ若者の手よりポケットティッシュ渡さる

あざやかに切り返したき言葉あり真冬の昼の針葉樹林

オレンジの矢印が指す長き廊精神科病棟に続けり

引き際というを知らねばひったりと鉄の扉を男は閉ざす

京の鬼門東福寺の大家根を七階の病室より見下ろす


奪いゆく鳥

思考回路狂いはじめつ葡萄のつる取り払われし真昼の空に

奪いゆく鳥とならんか秋の日を浴びて色づく銀杏木一樹

夭折の姉遠ざけ「黒猫」という名のワインに胃を満たせゆく

左側に傾き癖をもつ時計に刻測らるる真昼の電話

毒秘むるの葡萄の実にひかれゆく飛げない鳥でいるにも飽きて

かっちりと蓋閉じられし瓶の中カリンは褐色の斑点増やす

藤田嗣治の空白の時代を埋めゆくか雨中にひらく秋冥菊は

The end と finの違い示したり別れし後のしろき歳月

砂丘に風紋絶えず動きおり逢いたしという一人もあらず

先駆くる馬が立てたる砂けむりに私の馬が突入なせり

予告信号

ヒトゲノフの解読待たるる日の夕べ一人の言葉解けずにいる

予告信号赤に変われる一瞬をかの日不実よぎるてゆきむ

冬の日の去れるキッキンにささがきの堀川ごぼう芯まで白き

ガス台にはじける牡蠣の殻集め今日一日の辻褄合わす

まだ海知らぬ老女に死期迫る青褐色のたそがれ時を

水鳥を空に放ちてて酔芙蓉夕べの門を固く閉ざせり

類型という言葉知らず秋くれば吉野葛原葛の花揺らす

生き物の住まぬ高層のマンションの壁に向かいてもの書く娘

欲望のひとつひとつを内臓し闇をいろどる夜の芙蓉花

マクベスの追いつめられてゆく声が夜更けワープロの画面を覆う

網膜剥離の夫の右眼に届かない言葉のありて夕かたぶきぬ

薄紙に閉じ込められてどくだみは鉄のヤカンに薄き息吐く

帰宅遅れし一人の部屋にユトリロの「冬の街角」明かりを灯す

シュレッダーに刻み切れない感情を夜更けの窓のガラスに映す


洛中洛外図

人はかつて魚にてありきひらひらと背びれ動かす四条河原町に

堂本印象すくっと立ちて歩みくる御室の御所の襖の絵より

見失いし疎水の水が南禅寺の頭上に音立つ闇を引き連れ

仁王像かっと見開く坂門に酸素吸入量多くなる

ねこじゃらしに魂奪わるる猫となり原谷のしだれ桜くぐり来

身体の内側みたり薄暗き鞍馬の泥地に波打つ木の根

常照の桜はひらく砂の上スフィンクスの目覚めゆく夜

昼暗き糺の森に逃げ込みし人間嫌いの鳥を捜せり

大江山生野の道を鬼幾人乗せいるや北近畿鉄道


T U V W X
V

未確認情報


からくり人形行き方知れず電池切れの三分間の柱時計に

留守電に三日眠りし伝言が旅より戻りし我を縛り来

査定額四万円のマークU雨の夜のガレージに眠る

動物占い我は象なり両耳をひらひらさせて人群れにいる

未確認情報ひとり歩き出すシャーペッ待つ間のテーブルに

木の匂秋雨の匂我が匂消しさりてゆくロックノリズム

やわらかい通草の蔓の先端が向きを変え人は人を裏切る

茄子の葉を食い荒らししを知らぬ顔てんとう虫のようなる女

『脳内革命』本棚の隅に押しやられ夢のひとつが萎んでしまう

「花好きに悪者はいない」言いきりぬ都忘れはまことしやかに

冬の日のクレジットカードさくらさくら春のおぼろの夜に着きたり

抑揚なく柱時計が二時を打つこの家に百年住みいるように


風の音


放たれしの野の馬となり逆光のなか帰りくる2頓トラック

駆け引きも評価されいる事務室のコーヒーに砂糖もミルクも入れず

会議室に男等の顔見失い熱きコーヒー注ぎ足してゆく

資金繰りのデーター打たれ水圧のごときに耐えているコンピューター

灰色の背広の背広のそびらに一本の縦皺残し会議終われり

支払い手形落し終えたる銀行の廃棄の通帳穴あくきて戻る

八時五十分のタイムカードなめらかにわれの時間を巻き戻しいる

積み上げらるる原料袋の一角より崩れ来る我の未来は

k結論はついに出でざり卓上にアルミ効果は光をもたず

灰色の背広の下に見えているサンゴピンクのシャツは健在

プチトマトをフォークに刺して如月の夜の会話の終止符とせり

商談の終りし後の灰皿に吸殻細き煙巻き上ぐる

夕暮れの迫る職場にコンピュターはかすかにかわくきし風の音立つ


獣に煽られて


肉汁がしたたるたびに勢いを増しゆく炭火に煽られて獣

赤道のハルマヘラ島地図に指す父兵たりし日の目となりて

網の上赤身の肉はおもわざる角度にわれに向かいて反りぬ

人住まぬ生家の郵便受けにある期限きれたるバーゲンの知らせ

夕べ見し夢の続きを打ち据えるえて叩く蒲団の乾きたる音

生きおれば翔んでる男と評されし父の噂も今夏は聞かれじ

下草のももに終わりし人生と思う 炎天に人間あふる

花菖蒲を横んなぐりに打つ走り雨われの記憶を呼び覚ましゆく

財産放棄書に押しし実印の朱はあざやか冬夜の闇に

ダンボールに『レイテ戦記』の積まれおり極月の雨降りしく路地に


花の輪郭


ドライフラワー花の輪郭崩しゆく窓より入りくる七月の風に

窓際に逆さに釣られ従順となるより他なし真紅のバラは

鬼あざみドライフラワーに入りしより我が家の重心右に傾く

ジヤワ更紗の布の樹木に夏の日の噴水の水したたりて落つ

やわらかき言葉の裏に息づくはアルカロイドの微量の毒か

高層のビル突き上げて来る突風が不毛の地とす家族というを

肩翼を虫に食われ鷺草に夜の銀河のまたたき遠退く

昨日の言葉が息を吹きかえす青サルビアに雹の降りきて

人間の体臭もてる苦瓜がぬばたまの闇に蔓伸ばしくる

忍びやかにわれより出でてゆきし猫隣家の画家のパティオに入るぬ

普通とは無数の異端の集合体 雌猫手負いの傷を舐めいる


猟銃区


浅葱色の風吹き抜くる余呉の湖今なら湖面を渡れる錯覚

鳥・魚・獣偏をまといて夏草の茂れる湿地帯を抜けたり

野の原を振り返りゆく犬のレオ我はお前の始発の駅舎となして

猟銃区指定の森を一発の銃弾となり通り過ぎたり

直方体の闇に吠えつぐ犬のあり刃物に似たる両耳持ちて

皇帝の名をもつ犬が雌犬であること誰にも知られたくない

ダンボールに爪を潜ませ眠りおり冬の馬鈴薯乾きはじむる

自らを凝視なしつつレオ三世夜の硝子に後ずさりゆく

失速の鳥がつぶてとなりて落つ湿原に立つ我が面前を

脂身をむさぼりて食い雄犬がサバンナ深く真昼消えゆく

ほうほうと雄呼ぶ声に共鳴す森は梟の配下となりて


T U V W X
W

葉月土曜

地を這うも空へ向かうも蔓草の先端明るき八月の森

いっぱいの水にて足らう鉢植えのロベリアの花放つ青色

宗教・思想・恋愛・マネー  タブーばかり 視覚障害もてる青年

遺伝子の甘きささやき超音波写真のなかの胎児の眠り

セ氏38度の昼のユトリロの街の粉雪いまだ解けざり

サバンナをヌーの大群駆けゆきぬわれは雑踏の街に紛るる

迷彩服幼に着せて講演の出口を捜し続ける女

人工呼吸のゴム人形に吐くわれの息のみ聞ゆ実習室に

心臓マッサージ練習用のゴム人形ボストンバックに夕べ押し込まる


幻の魚


ヘパーミントの香りグラスに広がりて幻の魚音を立てたり

水母の時代の到来を告げゆらゆらときたる夕刊水無月の夜を

手懐けて又牙を剥く生き物の正体みたりマスメディアの

水槽にエンジェルフィッシュの泳ぐさま見つつ太りゆく昼の茶房に

西陽受け走る電車にぱっくりと膝より口開くブルージ−ンズ

沈黙の刻は過ぎたりたんぽぽの球形風にくずれゆく音

木箱よりはみ出しし本押し戻す自在に生きよというを信じず

牡牛座の今日の運勢消してゆく 喉熱くする赤い色のワイン

「あなたの短歌にあなたはいない」透明人間とさらざりし我

アルベール・カミュの古き文庫本眠るゆえ地下庫壊せずにいる

北国街道・黒壁八号館・翼果楼ガラス器に透く虹色の鱒

肺呼吸をえら呼吸に変え新緑の鯖街道を北へと向かう

熱光線放つ小暗き工房にガラスは青き女体となりゆく

十一の顔面をもつ観音が十一の嘘をまといて立てり

1300度の炉を潜りきし吹き硝子まだあやうさをもつ工房に

百年褪せない歌の技法告げ野分けの風が湖面揺らすも

果たさんとして失いゆくもののあり潮の去りし海は灰色

海馬とう記憶の湖に眠りいるはたちの歳を越えざりし姉

文字盤の青き時計に測られつつ海のようなる記憶に入りぬ

冬の終わりに生まれしもの流氷・アルベールビル・浪人生の息子


霜月凍夜


若狭なる浜の昼顔炎天に踏みしだかれも猶も咲きおり

真鰯の腹裂き塩ふる老いし母の背浮かび来る霜月凍夜

モルヒネを赤児のように待ちわびて飲み干し母は日毎弱りぬ

寝静まる母の広窓揺すりゆく冬の夜ふけの海鳴りの音

負掛ける負がプラスとならん日を思う父逝かせ母逝かせし冬夜

くぬぎ葉が刃物となれる冬の夜の凍魚一匹眠りの落つる

白砂は海の底ひに沈みたり我に居場所のあらぬふるさと

凪ぎ海の師走の闇にひとすじのあかり灯せり母の遺品は

医師の手にゆらゆら揺るる胆嚢は人体でもっともやわらかきもの

夏枯れの桜の大樹雨に濡れわれはひたすら羽化を待ちおり


T U V W X
X

人走るゆえ


人走るゆえ我も走り抜く乗り換え駅のプラットホームを

電池切れの鳩の時計を飛び出してノラは何処か花のに入りぬ

十年前に発行されし『日本が変わる』居座り続けいる書庫

ノラ捨てし青き目の人形もある横浜山下 人形の館

フロントガラスの向こうに動くワイパーが君の否定論覆せり

ピカソ展の画布より抜けて眠りいる女運びゆく真昼の電車

触覚をゆるりと伸ばしパーティの円形テーブルを渡りゆく

昼刻のビニールハウス寡黙なり薔薇の先端をわれに突きつけ」

タンザニアの象の親子がこの後も飼わるる書庫のガラスケースに


無神論者


末枯れゆく秋の野面に分け入りて花の種子の運命狂わす

夕づける秋の枯野に動かざる雄の蟷螂無神論者

案内板の地図より消えし辺りより広がりゆけり綿毛の原は

鉄骨の足場に小さく閉ざされて冬に向かえり礼拝堂は

白鯨をおいゆく原にすすき穂の揺るる一枚海図となりて

もう少し娘でいさせて 赤色のオープンカーが車庫を占拠す

定住という言葉をもたねば翔ぶ鳥にパン捲く男明日をたくして

湖に浮かぶコーラの空缶に二人の会話しばらく途切る

馴染みいし革の手袋見失うアンコールワット展終えたる後

消去ボタン早押しなして消し去りぬぬばたまの夜のポーの伝言

ウオークマンに導かれゆく空の果て銀河のさそり手足を伸ばす


キチキチバッタ


隊列を組みて過ぎゆく若者の長き両脚無国籍めく

弾薬庫の歩哨を解かれし若者のの顔面濡らす六月の雨

演習場より戻りたる隊員の汗に混じれる硝煙の臭

駐屯地の電光掲示の星占いに縛られてゆく列車待つ間を

連隊の古びしタイプの音今もわれの記憶の底に新し

カーキ色の隊員乗せている車両カウントダウンの街に消えたり


湖の住人


大量の泥を吸きて濁る湖の住人となる黄金の魚

湖の面を渡る紫のしじみ蝶小さき変身ならず

奴隷海岸地図より消えし日は遠し森深く咲く花 鬼あざみ

擬餌針で釣られし魚が鉄鍋に揚げられてゆく粉をまといて

振りむけば影となる夢追いゆきし男の残せる壁の速写画

ジャスミンの吐息は白く散りゆけりひとりの男消えてゆくとき

我の中のクローン人間雄弁に語るを写す茶房のガラス

薔薇の枝鋭角に切りさし芽するわれの優位が崩れぬように

皇居東御苑に拾いし銀杏が十三階の木箱に眠る

マリア・カラスの自伝のような雨が降り薔薇は赤き新芽を増やす

ナイチンゲール誓詞も混じる紙屑が火種となる焼却の炉に

鉛筆の芯尖らせて四桁の暗証番号を考えている


ピエロの眼


地下水の手にあたたかいき冬の夜のソクラテスの妻編めるセーター

冬の夜の闇迫りぬ水色の不凍液に沈むコンタクトレンズ

ひったりと蛾は行間に挟まりて冬の記憶を我にとどむる

名詞止めの歌ばかりなり くれないの縦一文字ピエロの眼

背後より見知らぬ男写りおりキャッシュコナーの昼の鏡に

居直りというを知らざりすごすごと猫の立ち去る暗渠の上を

焼肉のパーティは果て鉄板は裏返されて熱を放てり

ぐさぐさと身体に触れ来し氷片がくぬぎ林の黄に吸われゆく

分身のピエロの人形仕上げおりいつの日か裏切らるるを知りつつ


ステンドグラス


切れきれとなれる記憶を織りこみてパッチワークの花の仕上がり

右眼1左眼0.3の差にときおり狂う私の生き方

裏葉色の雨の降り続く草の辺にダビテはしろき顔を上げたり

「進化論」の歩みを止めて昼下がりのソファに沈みコーヒーを飲む

碇高原に広がる牧場に立ちすくみ黒き羊を1頭放つ

飲み終えしビールノ缶が透明のビニールに落ちゆく音す

冬の部屋白き息吐く踊り子の画布の肩より冷えゆく夜

ドランクを開きて夜の検問を受けおり逃亡というは文字のみ

ピーナツの皮砕きいる昼下がり壊し得べきは我にもなきか

旅人のやすらぎとして教会の裏庭に赤く揺るる柿の実

胸底に棲みて身じろぎせぬ魚ステンドグラスの光に漂う

断定せし後の薄闇に忍びくるラスコーリーニコフノうすら笑い

上昇気流に乗りそこねたる青銅の花が鉄路の上を舞いゆく



あとがき

 短歌創作の中では、日常を出て詩人・旅人・鳥にだってなれる。もう一人の自分捜しの
旅である。
 むろん一冊の歌集となって出来上がってくると、まぎれもない現実の自分と向き合うことと
なり愕然とさせられる。しかし失速しながらも、まだ飛び立とうとする余力を残し、今私はや
すやぎの森にたたずんでいる。
 自分自身の感性を頼りにテーマごとにイメージを膨らませた。したがって短歌を作成した順
序・季節・場所等のすべての枠を取り外した。